ボクシングと認知症との関連は以前から指摘されていた。少なくとも青少年にボクシングとかの頭部への打撃系のスポーツをさせるのは止めた方がいいかもしれない。
こんなブログ記事もある。
アメリカ・カナダ小児科学会: 小児・思春期でのボクシング競技廃止推奨 医師たちも廃止に協力を
http://intmed.exblog.jp/13412847/
文明国ではボクシングは追放されなければならない
http://intmed.exblog.jp/2193952/
そして、これはアメフトで脳振盪を経験した選手にうつ病が多い、つまりうつ病リスクを増大させるという記事。
アスリートが経験する脳震盪はうつ病リスクを増加させる
http://www.carenet.com/news/risk/carenet/30930
>Kerr氏らは、脳震盪が将来のうつ病発症の独立した危険因子であることを、Am J Sports Med誌オンライン版2012年8月24日号で報告した。
>NFL (アメリカ・プロフットボールリーグ)を引退した選手を対象とした前向きコホート研究。2001年の一般健康調査(GHS)をベースラインとし、2010年までフォローアップを行った。
で、結果は、、、
>9年間のうつ病発症リスクは脳震盪の経験回数と相関していた(経験なし:3.0%、10回以上:26.8% [線形トレンド:p<0.001])。
>脳震盪はうつ病発症の独立した危険因子である。脳震盪とうつ病の関係は、身体的健康状態の低下とうつ病の関係とは無関係であった。
2012年09月04日
2012年01月26日
日本中を差別の火が覆っている
やっとブログを書く暇ができた。
書かねばならない、記録として残しておかねばならないとだいぶ前から(半年以上前から)思っていたテーマを書いておきます。
それは放射能差別のこと。
昨年3月11日に東北太平洋沖で大地震が起こり、大津波が来て、2万人からの死者行方不明者が出た。この国土に大きな爪痕を残した。
そして福島第一原子力発電所でレベル7の、世界でも2度目という大事故が起こった。周辺地域へ放射性物質が大量に拡散し、広い範囲で避難を余儀なくされている。
これから日本中の人手と資金、資材を投入して、復興と事故終息を計っていかないといけない。それも全力をあげて。
それをやり遂げる能力、資金、資材が日本にはあると私は確信しているのですが、残念でならないのは差別の火の広がりです。
広島や長崎原爆で被災した人達は、長らくその差別に晒されていたという。
しかし、それも昔の話で、この現代日本でそれが再現されるようなことは、まさかあり得ないだろうと思っていた。
ところがそうではなかった。
差別の火というのは、我々人間の業のようなものなのかもしれない。科学技術の進歩や教育の普及とかでその業を抑えておくようなことは不可能なのかもしれない。インターネットで誰でも簡単に情報を発信できるような現代では、逆にその差別の火が昔より、より速く、より広範囲に広がるようになってしまったということなのでしょう。
関東大震災の時に起こったという朝鮮人差別に起因する虐殺事件、さすがに今度の大地震、大津波での外国人差別というのは、たとえあったとしても小規模なものであっただろうとは推測できる(ニュースがないので分からない)。一方、被災者、被災地への差別、特に原発事故関連のものは今現在も日本中で起こっている(特に関東地域で多いような感じがする、被災地に近いというのもあるためか)。
ツイッター上で福島ナンバーの車への給油拒否があったとかいうのに始まり、放射能がうつる(感染する)とイジメをうけたとかいうのが流れてきて、そのうち被災地への「絆」を示すためにと企画された花火が、東北地方で生産されたのを使うと放射能がまき散らされるってんで中止になったりというニュースが出るにおよんで、これはいったいなんなのだ、日本は、日本人は狂ってきているのかと感じだした。これは明らかに差別ではないか、差別を大々的にするほどに、日本は、日本人は狂ってきているかと。
これを決定的に確信したのは、2011年8月の京都、五山の送り火騒動です。
被災マツ、大文字使わず 「放射能不安」で一転
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110806000029
-----(ここから引用)-----
東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」のマツを京都に運び、五山送り火の「大文字」に使う計画が中止になったことが5日、分かった。マツの放射能汚染を懸念する声が京都市などに寄せられたためで、8日に陸前高田市で燃やす方針という。
高田松原のマツを薪にして販売し、復興支援に充てる活動を知った大分市の美術家が6月、大文字保存会(京都市左京区)に打診し、7月中にも受け入れる準備を進めていた。マツは当初約200本用意され、現地の人たちが犠牲になった家族や友人の名前、復興への祈りを記していた。
ところが、7月に入り、京都市文化財保護課や保存会にマツの放射能汚染を不安視する声が寄せられ、インターネットの掲示板などにも反対意見の書き込みが続いた。
-----(引用、終わり)-----
松の表皮にはごく少量の放射性物質が付着している、検出限界値を下げればたぶん日本全国の樹木の表皮や葉から検出できるでしょう。
問題はその量です。
放射性セシウムがキログラムあたり数十から数百ベクレル(Bq/Kg)程度、それも表皮だけで検出となれば文字通りたかがしれている(あの大気圏内原爆実験華やかなりし頃なら日本中でみられていたはず)。それでも嫌というのなら(これ自体がもう差別に直結していることですが)表皮を剥げばすむ。
その後、この手の拒否主張を関係者に送りつけて中止に追い込むというやり方が日本中で広がってきた。
例えば、、、
福島製橋桁、放射能不安の声で工事中断…大阪
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111006-OYT1T00814.htm
-----(ここから引用)-----
大阪府が進めている架橋工事で、福島県郡山市内の建設会社が製造した橋桁に対し、周辺住民から放射能汚染への不安の声が上がり、工事が中断されていることがわかった。
府によると、橋桁は大阪府河内長野市と和歌山県橋本市を結ぶ国道371号バイパス架橋工事に使われる予定で、郡山市の会社が製造と設置工事を約1億2500万円で受注した。長さ55メートル、幅8メートルの鋼製で、東日本大震災前の今年2月に完成。当初は9月に河内長野市に運ぶ予定だった。
-----(引用、終わり)-----
そして、今回の地震、津波のための多量にできた被災地の瓦礫、これを現地だけでは処分できない、復興には日本全国でこの瓦礫を受け入れて焼却などの処分をしないといけないのが、ほとんど受け入れていない。受け入れようとしても嫌がらせメールや電話が来るのだそうな。
福島県産の農産物、生産しても売れない。さらには、福島の農家を殺人者呼ばわりする群馬大学の教授さえいる始末。
差別の火が日本中を覆っている。
そのシンボルとして送り火の大の字が適当と私は思う。
大文字の大は差別の火。
書かねばならない、記録として残しておかねばならないとだいぶ前から(半年以上前から)思っていたテーマを書いておきます。
それは放射能差別のこと。
昨年3月11日に東北太平洋沖で大地震が起こり、大津波が来て、2万人からの死者行方不明者が出た。この国土に大きな爪痕を残した。
そして福島第一原子力発電所でレベル7の、世界でも2度目という大事故が起こった。周辺地域へ放射性物質が大量に拡散し、広い範囲で避難を余儀なくされている。
これから日本中の人手と資金、資材を投入して、復興と事故終息を計っていかないといけない。それも全力をあげて。
それをやり遂げる能力、資金、資材が日本にはあると私は確信しているのですが、残念でならないのは差別の火の広がりです。
広島や長崎原爆で被災した人達は、長らくその差別に晒されていたという。
しかし、それも昔の話で、この現代日本でそれが再現されるようなことは、まさかあり得ないだろうと思っていた。
ところがそうではなかった。
差別の火というのは、我々人間の業のようなものなのかもしれない。科学技術の進歩や教育の普及とかでその業を抑えておくようなことは不可能なのかもしれない。インターネットで誰でも簡単に情報を発信できるような現代では、逆にその差別の火が昔より、より速く、より広範囲に広がるようになってしまったということなのでしょう。
関東大震災の時に起こったという朝鮮人差別に起因する虐殺事件、さすがに今度の大地震、大津波での外国人差別というのは、たとえあったとしても小規模なものであっただろうとは推測できる(ニュースがないので分からない)。一方、被災者、被災地への差別、特に原発事故関連のものは今現在も日本中で起こっている(特に関東地域で多いような感じがする、被災地に近いというのもあるためか)。
ツイッター上で福島ナンバーの車への給油拒否があったとかいうのに始まり、放射能がうつる(感染する)とイジメをうけたとかいうのが流れてきて、そのうち被災地への「絆」を示すためにと企画された花火が、東北地方で生産されたのを使うと放射能がまき散らされるってんで中止になったりというニュースが出るにおよんで、これはいったいなんなのだ、日本は、日本人は狂ってきているのかと感じだした。これは明らかに差別ではないか、差別を大々的にするほどに、日本は、日本人は狂ってきているかと。
これを決定的に確信したのは、2011年8月の京都、五山の送り火騒動です。
被災マツ、大文字使わず 「放射能不安」で一転
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110806000029
-----(ここから引用)-----
東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」のマツを京都に運び、五山送り火の「大文字」に使う計画が中止になったことが5日、分かった。マツの放射能汚染を懸念する声が京都市などに寄せられたためで、8日に陸前高田市で燃やす方針という。
高田松原のマツを薪にして販売し、復興支援に充てる活動を知った大分市の美術家が6月、大文字保存会(京都市左京区)に打診し、7月中にも受け入れる準備を進めていた。マツは当初約200本用意され、現地の人たちが犠牲になった家族や友人の名前、復興への祈りを記していた。
ところが、7月に入り、京都市文化財保護課や保存会にマツの放射能汚染を不安視する声が寄せられ、インターネットの掲示板などにも反対意見の書き込みが続いた。
-----(引用、終わり)-----
松の表皮にはごく少量の放射性物質が付着している、検出限界値を下げればたぶん日本全国の樹木の表皮や葉から検出できるでしょう。
問題はその量です。
放射性セシウムがキログラムあたり数十から数百ベクレル(Bq/Kg)程度、それも表皮だけで検出となれば文字通りたかがしれている(あの大気圏内原爆実験華やかなりし頃なら日本中でみられていたはず)。それでも嫌というのなら(これ自体がもう差別に直結していることですが)表皮を剥げばすむ。
その後、この手の拒否主張を関係者に送りつけて中止に追い込むというやり方が日本中で広がってきた。
例えば、、、
福島製橋桁、放射能不安の声で工事中断…大阪
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111006-OYT1T00814.htm
-----(ここから引用)-----
大阪府が進めている架橋工事で、福島県郡山市内の建設会社が製造した橋桁に対し、周辺住民から放射能汚染への不安の声が上がり、工事が中断されていることがわかった。
府によると、橋桁は大阪府河内長野市と和歌山県橋本市を結ぶ国道371号バイパス架橋工事に使われる予定で、郡山市の会社が製造と設置工事を約1億2500万円で受注した。長さ55メートル、幅8メートルの鋼製で、東日本大震災前の今年2月に完成。当初は9月に河内長野市に運ぶ予定だった。
-----(引用、終わり)-----
そして、今回の地震、津波のための多量にできた被災地の瓦礫、これを現地だけでは処分できない、復興には日本全国でこの瓦礫を受け入れて焼却などの処分をしないといけないのが、ほとんど受け入れていない。受け入れようとしても嫌がらせメールや電話が来るのだそうな。
福島県産の農産物、生産しても売れない。さらには、福島の農家を殺人者呼ばわりする群馬大学の教授さえいる始末。
差別の火が日本中を覆っている。
そのシンボルとして送り火の大の字が適当と私は思う。
大文字の大は差別の火。
2011年07月06日
代理ミュンヒハウゼン症候群
子供をだしにして自分の主張(不合理であったり無理なこと)を強引に通そうとする者達がいる。
世間一般に弱者とみなされているものであれば、それは子供でなくともよい。いわゆる弱者(と世間一般で認められていたらなんでもよい)を前面に押し出して、その弱者のためだということで自分の主張を通そうとする。いわゆる障害者団体と称する者達が、障害者を車いすに乗せて壇上にあがり大声で反対派を人殺しとか糾弾する、またいわゆる動物愛護団体がペットや野生動物(できるだけかわいく見えるのがよい)を持ち出してやっているのも同じでしょう。
こういうのはまだ了解できる。そこに明確な利得を見ることができるから。
しかし、、、
今、東京電力福島第一原子力発電所の事故で不合理としかいいようのない放射能への恐怖、不安を言い立てて、子供のためとして、水道水を飲ませずミネラルウォーターだけにしたり、外で遊ぶことを禁止して屋内だけにしたり、給食も東北産の農産物が使われているかもしれないってんで産地を選んだ弁当を持たせたり、やり過ぎとしか思えないことをやっている人達がいる(母親が多い)。時には集団で示威行為までやる。役所に集団で押し掛け、それも子供を連れて行って大声で要求を叫ぶ。示威行為といえば、反原発デモで奇形児コスプレをしてやっているものもいたそうな。
これらの実例はインターネットにごろごろ転がっているし、ツイッターでも多量に見つかる。
実際は、そこまでの危険性は全くない、今程度の放射線量では「直ちに健康に影響を与える可能性はない」などと言われると、それに対し御用学者のレッテルを貼ったり、安全厨だと言いつのり、安全とする主張の受け入れを拒否する。政府や公的機関の公式な観測結果も、安全と思われる数字は信用せず、危険なものを隠蔽しているのだとか、極端になればどこかの陰謀だとかまで言い出す。
そして、中には、不安を煽って、いわゆる健康食品やサプリメントに放射能除去装置、さらにはホメオパシーのレメディーのようなトンデモ商品を売りつけようとする悪徳商法に引っかかっている人さえいる(消費者生活センターにこの手の相談が急増しているらしい)。
そこまでして安全であることを拒否し、危険であることを言いつのるのはなぜなのか?
悪徳商売でやっている者達やいわゆる自称ジャーナリスト達が危険や不安を煽るのは、こういう機会に金儲けしたり、のし上がりたいというような実益があるためででしょうが、子供の安全が心配と言っている者達が、なぜ安全であることを拒否するのか?
安全であることを望んでいるのなら、なぜ安全だという観測結果の発表を喜ばないのか、安全だという専門家の主張に耳を傾けないのか?
逆に、危険であるという主張を(中には明らかにデマとしか思えないことさえも)、そこまでして求めるのはなぜなのか?
私は、以前から(この大震災より前からという意味)、この手の、特に子供の安全のためとか言って極端な行動(使われている子供にすれば迷惑以外の何ものでもない)をしている母親達は代理ミュンヒハウゼン症候群ではないかと推測していた。
もちろん、そこまで極端ではないが、それに近い心性の人達ではないかと思っていた。
代理ミュンヒハウゼン症候群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E7%90%86%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
-----(ここから引用)-----
ミュンヒハウゼン症候群と同じく自分に周囲の関心を引き寄せるためにケガや病気を捏造する症例だが、その傷付ける対象が自分自身ではなく身近の者に代理させるケースをいう。この症例は子供を持つ母親に多く見られ、その傷付ける対象の多くは自分の子供であり、子供に対する親心の操作であったり、懸命または健気な子育てを演じて他人に見せることによって周囲の同情をひき、自己満足することも挙げられる。またアメリカでは、年間600~1000件近くの「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の症例があるといわれ、その数は近年増加傾向にあるという。日本で注目される前に欧米では既に社会問題となっている。また、シュライアー博士によれば、この「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の患者の約25%が、以前に「ミュンヒハウゼン症候群」を患っていた事が知られていると指摘する。
他者を傷つけているからといって、決して殺害が目的ではない。
-----(引用、終わり)-----
【代理ミュンヒハウゼン症候群】(Personality Disorder) はやし浩司先生の教育アドバイス
http://www.sehimiry.com/hayashihiroshisensei/231.html
-----(ここから引用)-----
●フリをする母親
昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスのアッシャーという学者は、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。
ミュンヒハウゼンというのは、現実にいた男爵の名に由来する。
ミュンヒハウゼンは、いつも、パブで、ホラ話ばかりしていたという。
その「ミュンヒハウゼン症候群」の中でも、自分の子どもを虐待しながら、その一方で病院へ連れて行き、献身的に看病する姿を演出する母親がいる。
そういう母親を、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という(以上、参考、「心理学用語辞典」かんき出版)。
このタイプの母親というか、女性は、多い。
自分に対して(演技する)のが、ミュンヒハウゼン症候群。
子どもなど、だれかを代理させて(演技する)のが、代理ミュンヒハウゼン症候群。
しかし代理になる対象は、けっして(子ども)だけではない。
実の親、兄弟ということもある。
また(病院)だけが舞台とはかぎらない。
家庭や介護センターなどでも、ある。
-----(引用、終わり)-----
この「だれかを代理させて」の誰かは自分の子供に限らない、今回の原発事故では「福島の」子供や住民のこともある。
この「演技」が成立するには、「自分の子供」や「福島の」住民が危険にさらされていないといけない(実際にさらされている必要はない、危険であると見えさえすればよい)。そうでないと、この「演技」は喜劇でしかないし、時には虐待にも等しいことになってしまう。
そのため、「自分の子供」や「福島の」住民が、実はそれほど危険ではない、安全だと言われると、極端なまでに否定しようとする。また、危険であるという主張をしてくれている者達(例えば肥田医師や小出さんなど)をヒーローに祭り上げ、まるで教祖様にしてしまってもいる。彼らの主張の矛盾点を指摘しようものなら、信者が教祖を守るかのようにヒステリックに拒否する。
自分の子供や「福島の」住民を守るということは「演技」でしかないから、子供や住民がいかに困ろうが関係ないことになる。要は他人に自分が守ろうとしていると見えたらいい。見えさえすれば、子供にいかにストレスをかけていようが(虐待に等しくても)、また福島の住民にいかに迷惑がかかろうが(例えば風評被害の助長や福島産農産物の購買拒否)、この「演技」をしている者には関係ない。子供や福島の住民が困っていようが、子供のために自分はこれだけ苦労しているのよ、福島の住民の安全のためにこんなに行動しているのよということ(演技)を他人に示せたらいい。
彼らの「演技」は、自分の子供や福島の住民が危険にさらされているとみなされることに成功すれば、他人の注意をひくことができ、同情を買うことができ、結果として自分を高く評価してもらえる。これが彼らの不安や恐怖「演技」の「利得」となる(不安利得とでも言えるかも)。しかし、実際は危険ではないとなると、その「演技」は彼らのエゴであり、さらには虐待にも等しい不道徳なこととなってしまう。そのことを無意識的には自覚しているが故に、安全であるといういかなる事実をも拒否することになる、それも極端に。
このエントリーをここまで読んだ皆さん、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という病が実際にあること、そしてそこまで病的でなくとも、そういう心性の持ち主が意外と多いのだということを知った上で、彼らの行動を眺めてみて下さい。
なるほどこれかと頷ける場面が多々あるはず。
さらにいえば、あなた自身がその一人ではないのかと自省してみてもよいかもしれない。
あなた自身もその一人かもしれない、、、
世間一般に弱者とみなされているものであれば、それは子供でなくともよい。いわゆる弱者(と世間一般で認められていたらなんでもよい)を前面に押し出して、その弱者のためだということで自分の主張を通そうとする。いわゆる障害者団体と称する者達が、障害者を車いすに乗せて壇上にあがり大声で反対派を人殺しとか糾弾する、またいわゆる動物愛護団体がペットや野生動物(できるだけかわいく見えるのがよい)を持ち出してやっているのも同じでしょう。
こういうのはまだ了解できる。そこに明確な利得を見ることができるから。
しかし、、、
今、東京電力福島第一原子力発電所の事故で不合理としかいいようのない放射能への恐怖、不安を言い立てて、子供のためとして、水道水を飲ませずミネラルウォーターだけにしたり、外で遊ぶことを禁止して屋内だけにしたり、給食も東北産の農産物が使われているかもしれないってんで産地を選んだ弁当を持たせたり、やり過ぎとしか思えないことをやっている人達がいる(母親が多い)。時には集団で示威行為までやる。役所に集団で押し掛け、それも子供を連れて行って大声で要求を叫ぶ。示威行為といえば、反原発デモで奇形児コスプレをしてやっているものもいたそうな。
これらの実例はインターネットにごろごろ転がっているし、ツイッターでも多量に見つかる。
実際は、そこまでの危険性は全くない、今程度の放射線量では「直ちに健康に影響を与える可能性はない」などと言われると、それに対し御用学者のレッテルを貼ったり、安全厨だと言いつのり、安全とする主張の受け入れを拒否する。政府や公的機関の公式な観測結果も、安全と思われる数字は信用せず、危険なものを隠蔽しているのだとか、極端になればどこかの陰謀だとかまで言い出す。
そして、中には、不安を煽って、いわゆる健康食品やサプリメントに放射能除去装置、さらにはホメオパシーのレメディーのようなトンデモ商品を売りつけようとする悪徳商法に引っかかっている人さえいる(消費者生活センターにこの手の相談が急増しているらしい)。
そこまでして安全であることを拒否し、危険であることを言いつのるのはなぜなのか?
悪徳商売でやっている者達やいわゆる自称ジャーナリスト達が危険や不安を煽るのは、こういう機会に金儲けしたり、のし上がりたいというような実益があるためででしょうが、子供の安全が心配と言っている者達が、なぜ安全であることを拒否するのか?
安全であることを望んでいるのなら、なぜ安全だという観測結果の発表を喜ばないのか、安全だという専門家の主張に耳を傾けないのか?
逆に、危険であるという主張を(中には明らかにデマとしか思えないことさえも)、そこまでして求めるのはなぜなのか?
私は、以前から(この大震災より前からという意味)、この手の、特に子供の安全のためとか言って極端な行動(使われている子供にすれば迷惑以外の何ものでもない)をしている母親達は代理ミュンヒハウゼン症候群ではないかと推測していた。
もちろん、そこまで極端ではないが、それに近い心性の人達ではないかと思っていた。
代理ミュンヒハウゼン症候群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E7%90%86%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
-----(ここから引用)-----
ミュンヒハウゼン症候群と同じく自分に周囲の関心を引き寄せるためにケガや病気を捏造する症例だが、その傷付ける対象が自分自身ではなく身近の者に代理させるケースをいう。この症例は子供を持つ母親に多く見られ、その傷付ける対象の多くは自分の子供であり、子供に対する親心の操作であったり、懸命または健気な子育てを演じて他人に見せることによって周囲の同情をひき、自己満足することも挙げられる。またアメリカでは、年間600~1000件近くの「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の症例があるといわれ、その数は近年増加傾向にあるという。日本で注目される前に欧米では既に社会問題となっている。また、シュライアー博士によれば、この「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の患者の約25%が、以前に「ミュンヒハウゼン症候群」を患っていた事が知られていると指摘する。
他者を傷つけているからといって、決して殺害が目的ではない。
-----(引用、終わり)-----
【代理ミュンヒハウゼン症候群】(Personality Disorder) はやし浩司先生の教育アドバイス
http://www.sehimiry.com/hayashihiroshisensei/231.html
-----(ここから引用)-----
●フリをする母親
昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスのアッシャーという学者は、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。
ミュンヒハウゼンというのは、現実にいた男爵の名に由来する。
ミュンヒハウゼンは、いつも、パブで、ホラ話ばかりしていたという。
その「ミュンヒハウゼン症候群」の中でも、自分の子どもを虐待しながら、その一方で病院へ連れて行き、献身的に看病する姿を演出する母親がいる。
そういう母親を、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という(以上、参考、「心理学用語辞典」かんき出版)。
このタイプの母親というか、女性は、多い。
自分に対して(演技する)のが、ミュンヒハウゼン症候群。
子どもなど、だれかを代理させて(演技する)のが、代理ミュンヒハウゼン症候群。
しかし代理になる対象は、けっして(子ども)だけではない。
実の親、兄弟ということもある。
また(病院)だけが舞台とはかぎらない。
家庭や介護センターなどでも、ある。
-----(引用、終わり)-----
この「だれかを代理させて」の誰かは自分の子供に限らない、今回の原発事故では「福島の」子供や住民のこともある。
この「演技」が成立するには、「自分の子供」や「福島の」住民が危険にさらされていないといけない(実際にさらされている必要はない、危険であると見えさえすればよい)。そうでないと、この「演技」は喜劇でしかないし、時には虐待にも等しいことになってしまう。
そのため、「自分の子供」や「福島の」住民が、実はそれほど危険ではない、安全だと言われると、極端なまでに否定しようとする。また、危険であるという主張をしてくれている者達(例えば肥田医師や小出さんなど)をヒーローに祭り上げ、まるで教祖様にしてしまってもいる。彼らの主張の矛盾点を指摘しようものなら、信者が教祖を守るかのようにヒステリックに拒否する。
自分の子供や「福島の」住民を守るということは「演技」でしかないから、子供や住民がいかに困ろうが関係ないことになる。要は他人に自分が守ろうとしていると見えたらいい。見えさえすれば、子供にいかにストレスをかけていようが(虐待に等しくても)、また福島の住民にいかに迷惑がかかろうが(例えば風評被害の助長や福島産農産物の購買拒否)、この「演技」をしている者には関係ない。子供や福島の住民が困っていようが、子供のために自分はこれだけ苦労しているのよ、福島の住民の安全のためにこんなに行動しているのよということ(演技)を他人に示せたらいい。
彼らの「演技」は、自分の子供や福島の住民が危険にさらされているとみなされることに成功すれば、他人の注意をひくことができ、同情を買うことができ、結果として自分を高く評価してもらえる。これが彼らの不安や恐怖「演技」の「利得」となる(不安利得とでも言えるかも)。しかし、実際は危険ではないとなると、その「演技」は彼らのエゴであり、さらには虐待にも等しい不道徳なこととなってしまう。そのことを無意識的には自覚しているが故に、安全であるといういかなる事実をも拒否することになる、それも極端に。
このエントリーをここまで読んだ皆さん、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という病が実際にあること、そしてそこまで病的でなくとも、そういう心性の持ち主が意外と多いのだということを知った上で、彼らの行動を眺めてみて下さい。
なるほどこれかと頷ける場面が多々あるはず。
さらにいえば、あなた自身がその一人ではないのかと自省してみてもよいかもしれない。
あなた自身もその一人かもしれない、、、