2010年10月19日

珊瑚事件ふたたび(その1)

昔、珊瑚事件というのがあった。
朝日新聞珊瑚記事捏造事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%8F%8A%E7%91%9A%E8%A8%98%E4%BA%8B%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この珊瑚事件は、傷つきやすい珊瑚であり、今や環境変動に弱く次第に減少している珊瑚礁、その保護をしないといけないのに、こういう悪い奴がいる、我々はこういうことをする奴を許してはいけない、そして我々はこういうことを教訓に環境保護に努めなければならない、と読者に説教を垂れているという訳です、マスコミ様が。

しかし、実は、珊瑚を傷つけたのは朝日新聞のカメラマンだったということが発覚した、、、という顛末だったというのが、この珊瑚事件。

弱者(マスコミ認定という但し書きがつく)の味方面して、強者と思われる者を悪者にして糾弾する、そういう記事を出すことで新聞や雑誌を売る。これは、マスコミが昔からやってきたやり方で、今も変わらない。
この事件以降も同種の捏造報道がなされてきた。もちろん朝日だけじゃない。
自ら事件を捏造しというのではなくても、事実の細切れを組み合わせて(自分の主張に都合の良いものだけをつなぎ合わせ、都合の悪い事実は取り上げないで)、さもこんな悪者がいるという主張を、マスコミはさかんにやってきたし、いまもしている。
(マスコミだけじゃない検察もこれをやっているのは、あの偽障害者郵便事件でよく分かる)

こういうことを頭にいれてこの「ワクチン被験者出血事件」を見てみると、またぞろ同じことをやっているようだというのが分かってくる。

そのワクチン被験者出血事件とは。

まず、朝日の第一報。でかでかと一面に出た。
(たぶんしばらくしたら消えてしまうと思うので保存の意味でも全部引用しておきます、あの大淀病院産婦脳出血事件の毎日新聞の記事、今や貴重品になっている)
東大医科研でワクチン被験者出血、他の試験病院に伝えず
http://www.asahi.com/health/news/TKY201010140469.html
2010年10月15日の記事です。
-----(ここから引用)-----
 東京大学医科学研究所(東京都港区)が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、医科研付属病院で2008年、被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことがわかった。医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外したが、他施設の被験者は知らされていなかった。

 このペプチドは医薬品としては未承認で、医科研病院での臨床試験は主に安全性を確かめるためのものだった。こうした臨床試験では、被験者の安全や人権保護のため、予想されるリスクの十分な説明が必要だ。他施設の研究者は「患者に知らせるべき情報だ」と指摘している。

 医科研ヒトゲノム解析センター長の中村祐輔教授(4月から国立がん研究センター研究所長を兼任)がペプチドを開発し、臨床試験は08年4月に医科研病院の治験審査委員会の承認を受け始まった。

 朝日新聞の情報公開請求に対し開示された医科研病院の審査委の議事要旨などによると、開始から約半年後、膵臓(すいぞう)がんの被験者が消化管から出血、輸血治療を受けた。医科研病院はペプチドと出血との因果関係を否定できないとして、08年12月に同種のペプチドを使う9件の臨床試験で被験者を選ぶ基準を変更、消化管の大量出血の恐れがある患者を除くことにした。被験者の同意を得るための説明文書にも消化管出血が起きたことを追加したが、しばらくして臨床試験をすべて中止した。

 開示資料などによると、同種のペプチドを使う臨床試験が少なくとも11の大学病院で行われ、そのすべてに医科研病院での消化管出血は伝えられていなかった。うち六つの国公立大学病院の試験計画書で、中村教授は研究協力者や共同研究者とされていたが、医科研病院の被験者選択基準変更後に始まった複数の試験でも計画書などに消化管出血に関する記載はなかった。

 厚生労働省の「臨床研究に関する倫理指針」は「共同で臨床研究をする場合の他施設への重篤な有害事象の報告義務」を定めている。朝日新聞が今年5月下旬から中村教授と臨床試験実施時の山下直秀医科研病院長に取材を申し込んだところ、清木元治医科研所長名の文書(6月30日付と9月14日付)で「当該臨床試験は付属病院のみの単一施設で実施した臨床試験なので、指針で規定する『他の臨床研究機関と共同で臨床研究を実施する場合』には該当せず、他の臨床試験機関への報告義務を負いません」と答えた。

 しかし、医科研は他施設にペプチドを提供し、中村教授が他施設の臨床試験の研究協力者などを務め、他施設から有害事象の情報を集めていた。国の先端医療開発特区では医科研はペプチドワクチン臨床試験の全体統括を担う。

 厚労省は朝日新聞の取材に対し「早急に伝えるべきだ」と調査を始め、9月17日に中村教授らに事情を聴いた。医科研は翌日、消化管出血に言及した日本消化器病学会機関誌(電子版)に掲載前の論文のゲラ刷りを他施設に送った。論文は7月2日に投稿、9月25日付で掲載された。厚労省調査は今も続いている。

 清木所長は論文での情報提供について「朝日新聞の取材を受けた施設から説明を求められているため、情報提供した」と東大広報室を通じて答えた。(編集委員・出河雅彦、論説委員・野呂雅之)
-----(引用、終わり)-----

よく分からない、いったい何が問題なのか曖昧模糊とした記事です。
ただ、ニュアンスとしては、中村教授が開発した未承認の「ペプチド」なるものの臨床試験で、「有害事象」なるものを公開すべきだったのに隠したようだ、隠蔽したようだというようには読み取れる、少なくとも、読者にそう読まれるような書き方をしていると私は感じた。私が強調した部分、それを補強するために、こんなことが起きた、他施設の研究者のコメント(こういうコメントが本当になされたのでしょうか?)や厚労相の倫理指針などを持ち出しているんでしょう。

マスコミがこういうことをやっている場合には、絶対その主張を信用してはいけない。

で、この記事の後、社説でこう言っている。
東大医科研―研究者の良心が問われる
http://www.asahi.com/paper/editorial20101016.html
まさに、マスコミ様がモラルを垂れるの図であります。
内容は、、、
-----(ここから引用)-----
 新しい薬や治療法が効くのかどうか。その有効性や安全性について人の体を使って確かめるのが臨床試験だ。

 研究者は試験に参加する被験者に対し、予想されるリスクを十分に説明しなければいけない。被験者が自らの判断で研究や実験的な治療に参加、不参加を決められるようにするためだ。

 それが医学研究の大前提であることは、世界医師会の倫理規範「ヘルシンキ宣言」でもうたわれている。ナチス・ドイツによる人体実験の反省からまとめられたものだ。

 東京大学医科学研究所が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、そうした被験者の安全や人権を脅かしかねない問題が明らかになった。

 医科研付属病院で被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研は同種のペプチドを提供している他の大学病院には知らせていなかったのだ。

 医科研病院では出血のリスクがある患者を除くように臨床試験の実施計画を改め、被験者の同意をとるための説明文書にもその旨を書き加えた。

 被験者の選択基準を改めるのは重要な計画変更である。だが、連絡を受けなかった他の大学病院では、被験者は自発的参加の判断材料となる情報が得られなかったことになる。

 医科研はペプチドを提供した大学病院から有害事象の情報を集めていた。医科研は「報告義務を負わない」というが、被験者の安全と人権を守る観点に立てば、医科研の側からも情報を提供すべきだった。

 細川律夫・厚生労働大臣は「事実関係をしっかり調査したい」としている。大学病院の被験者に事実が伝えられたのか確認を急いでもらいたい。

 国内では、薬の製造販売の承認に必要なデータ収集を目的とした臨床試験を特に「治験」と言い、薬事法などの法令で厳格に管理している。

 一方、今回のような研究者主導の臨床試験については厚労省の行政指針で対応している。指針に強制力や罰則はない。被験者の安全を守るためには、この二重基準を解消して、こうした臨床試験にも行政など外からの目でチェックする仕組みが必要だ。

 また今は臨床試験のデータをそのまま新薬開発には使えず、改めて治験が必要だ。研究者の負担は大きく、欧米との開発競争に後れをとることにもなりかねない。

 政府は大学の研究成果を画期的な医薬品の開発につなげることを、新成長戦略の一つの柱と位置づけている。

 法律によって統一的な研究審査システムを整え、治験以外の臨床試験で収集したデータも新薬の承認審査に使えるようにする。二重基準の解消は、被験者の安全を守り、研究成果の効果的な活用にもつながるはずだ。
-----(引用、終わり)-----

お前らはモラルに反した悪い奴らだということなんでしょう。
これを主張したいがために先の記事を出したのは、まず間違いない。
でも、まてよと。
ヘルシンキ宣言や臨床試験の指診など、誰も反対しないことを持ち出しているが、本当に東大医科研はそれらに反したことをやったのか?
この事実関係をはっきりさせないと、この朝日の社説は誹謗中傷と変わらないことになるのでは?

他の新聞、通信社も後追い記事を出しているが、なんか奥歯にものが挟まったような書き方をしています。

何かおかしい。
ますますおかしい。

これに関して、MRICのメーリングリストから反論メールが送られてきました。
これも、全文引用しておきます。
Vol. 324 科学・技術ガバナンスの原理原則を論ず
-----(ここから引用)-----
―萎縮医療から萎縮研究への負のスパイラルを止めよ―
構想日本 政策スタッフ
社会医療法人 河北医療財団 理事長政策室 室長
東京大学大学院総合文化研究科 広域科学専攻
田口 空一郎

2010年10月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
1.朝日新聞によるがん治療ワクチン報道

 10月15日、朝日新聞が「東大医科研でワクチン被験者出血、他の試験病院に伝えず」という報道が流れた。何を伝えたいのか、私には真意が理解しかねる記事だった。
 がん治療ワクチンの先端研究が行われ、その治験が行われる中で、出血という有害事象が生じたということをここまで大きく全国紙が取り上げることの意義は何なのか?
 以下に朝日新聞の同記事を一部抜粋すると、

『東京大学医科学研究所(東京都港区)が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、医科研付属病院で2008年、被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことがわかった。医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外したが、他施設の被験者は知らされていなかった。

このペプチドは医薬品としては未承認で、医科研病院での臨床試験は主に安全性を確かめるためのものだった。こうした臨床試験では、被験者の安全や人権保護のため、予想されるリスクの十分な説明が必要だ。他施設の研究者は「患者に知らせるべき情報だ」と指摘している。
 医科研ヒトゲノム解析センター長の中村祐輔教授(4月から国立がん研究センター研究所長を兼任)がペプチドを開発し、臨床試験は08年4月に医科研病院の治験審査委員会の承認を受け始まった。

  ~中略~

 厚生労働省の「臨床研究に関する倫理指針」は「共同で臨床研究をする場合の他施設への重篤な有害事象の報告義務」を定めている。朝日新聞が今年5月下旬から中村教授と臨床試験実施時の山下直秀医科研病院長に取材を申し込んだところ、清木元治医科研所長名の文書(6月30日付と9月14日付)で「当該臨床試験は付属病院のみの単一施設で実施した臨床試験なので、指針で規定する『他の臨床研究機関と共同で臨床研究を実施する場合』には該当せず、他の臨床試験機関への報告義務を負いません」と答えた。
 しかし、医科研は他施設にペプチドを提供し、中村教授が他施設の臨床試験の研究協力者などを務め、他施設から有害事象の情報を集めていた。国の先端医療開発特区では医科研はペプチドワクチン臨床試験の全体統括を担う。』

http://www.asahi.com/science/update/1014/TKY201010140469.html

 つまり東大医科研は、厚労省の倫理指針に基づき治験患者の消化管出血情報を他施設に報告すべきなのに報告しなかった、その責任者は中村祐輔教授である、ということをほのめかす内容となっている。
 他方、東大医科研が同じく10月15日に開いた会見では、今回の有害事象が生じた治験は東大医科研付属病院が単独で実施した研究プロジェクトであり、東大医科研ヒトゲノム解析センター中村祐輔研究室が実施するがん治療ワクチンの多施設共同研究プロジェクト(http://www.ims.u- tokyo.ac.jp/nakamura/main/cancer_peptide_vaccine.pdf)とはまったく別のプロジェクトであること、したがって他施設に報告する義務は存在しなかったことが明らかとなった。

 また、治験に使用したがん治療ワクチンは中村祐輔教授が開発したものでも特許権を保有するものでもなく、ただ同氏がかつて取締役を務めたオンコセラピーサイエンス社の提供するワクチンであったこと、などの諸事実が発表され、朝日新聞の記事に大きな事実誤認や論理の飛躍が見られたことが明らかとなった。
 結局、朝日新聞の記者が何を意図してこの記事を書いたのか、今もって不明のままだ。しっかりした事実調査もせず、先端医療の危険性を煽り、中村祐輔教授への個人攻撃を意図していたと取られても仕方のないような内容となっていた。


2.科学・技術ガバナンスはアクセルとブレーキの使い方次第

 そもそも科学・技術のイノベーションにリスクは不可避だ。この事実は有史以来の科学史・技術史を眺めても明らかだろう。特に現代の科学は、メガサイエンスともいわれる研究インフラの巨大化や、研究技術の高度化・集積化が著しくなっている。また新技術が生まれた結果に対する物理的・社会的リスクだけでなく、新技術が生まれるプロセスの実験・治験段階に発生する物理的・社会的リスクにまで、我々が認識できるリスクの範囲が拡大してきてしまっている。

 我々はそうしたリスクを引き受けながら、それでも科学・技術のイノベーションを促進しつづけていくのか、という近代批判的な問いももちろん可能だろう。今回の朝日新聞はそうした直観にどこか通じるものがある。しかし近代の科学・技術の科学・技術たるゆえんは、我々の直観や科学者個人の倫理観を超えて、独自の「科学・技術システム」として自律的・自己増殖的に進化を重ねていくという点に見出される。これを科学者個人のモチベーションに置き換えれば、科学者の「知的好奇心」とでも呼ぶべきものへと翻訳可能かもしれない。つまり、我々人類は、一度その一端を知ってしまった事実や世界―たとえばゲノムであり宇宙の神秘でもあるだろう―への好奇心、探究心を止めることはできない。もちろんここには、産業資本主義に独自の利益最大化システムも絡み合っており、科学者個人の心理的なモチベーションにすべてを還元することは不可能である。

 それでは我々こうした自己増殖的な近代科学・技術システムに固有のイノベーション・プロセスとどう向き合うべきなのか?今回の朝日新聞記事に垣間見えるような、単なる直観的な違和感に基づく(いわば手続き論的な)ブレーキだけではこのシステムを上手くガバナンスできないことは明らかだろう。
 当然、手続き的な正当性も必要ではあるが、科学・技術システム独自のイノベーションのプロセスをしっかり吟味し、どの方向にそれを導くか、そのアクセルの取り方、舵の取り方こそ最大の課題といえるだろう。具体的には、今回のがん治療ワクチンでいえば、単なる人体実験的な治験ということはありえず、あくまで患者の視点に寄り添った、患者のためのイノベーション促進のための舵取りであるべきことは論を俟たない。

今回の朝日新聞記事は、前者の人体実験的疑念に貫かれているように思われるが、中村祐輔教授が元々優秀な臨床医であり、末期の若年がん患者らとの対話の中で先端がん治療研究の道を志したことは知る人ぞ知る事実である。中村教授による、患者の視点に寄り添った、患者のための医療技術イノベーションを心から期待したい。

3.最後に:生老病死とがん研究の今後について

 私も個人的に2年前に父をがんで失い、現在も母が再発がんと闘病している環境にある。おそらく今後数十年以内に、両親が向き合ったがんに対する治療技術も相次ぐイノベーションによって様変わりしていることだろう。よく末期がん患者に対する死生観の必要性が説かれている。宗教的な規範の希薄なわが国においては確かにそうした側面もあるだろう。しかし科学・技術の背景にある自然に対する好奇心は、各人の中にある自然としての肉体(human nature)に対しても向けられるべきであると思う。
 つまり自然の中の一部に過ぎない自らの肉体的な生老病死の現実とそのプロセスを理解し、それを受け入れること、その上で医療的な介入という選択肢もありうるが、それは単なる技術に過ぎず、肉体(自然)の限界それ自体を変えることはできないということ、そうした各自の肉体も含めた自然理解の促進こそ、実は科学・技術(特に自然科学のそれ)がはらむ問題と限界を理解することに繋がるといえるだろう。まっとう(decent)な科学・技術ガバナンスとは、そうしたまっとうな自然理解に基づくガバナンスに他ならないのだ。
 
 現在、政権交代後の医療改革の中で最大の山場の1つである国立がん研究センターを始めとするナショナルセンターのガバナンス改革が進む中、国立がん研究センターの嘉山理事長の改革手腕には全国の医療者や研究者、永田町の医療政策立案者たちが熱い注目を寄せている。人事的な内部闘争が聞こえ漏れる中、患者の視点に寄り添った、まっとうな世界最先端を行くがん研究拠点づくりを実現するためには、嘉山理事長の力強いリーダーシップと、同センター研究所所長でもある中村祐輔教授の世界に誇る研究実績のチームワークが不可欠だろう。
 日本人ノーベル賞受賞が話題をさらった今日この頃、がん研究も含む今後の科学・技術ガバナンスのあり方について皆さんにもぜひじっくりとご一考いただきたい。
-----(引用、終わり)-----

最初の朝日の記事に事実誤認があると。
つまり朝日のあの社説は、自分で作り上げた亡霊に、おまえは悪い奴だ、おまえには良心はないのかと言っていることになる。

で、こういうことをマスコミがやってそれに大衆が迎合すると、日本の先端科学技術を担う優秀な人達は日本から逃げ出すことになる。あるいは、ノーリスクの問題だけを研究するようになる。誰にも非難させる恐れのない、しかし二流、三流の研究を。

そういやぁ、これも朝日新聞がやったのだったか、あの日本の宇宙開発の父である糸川教授を、さもスキャンダルがあるかのような記事を書き立てて葬った事件があった。
(もう記憶も曖昧で、インターネットでこれ関係のがないかと探したのですが、具体的で詳しいのが見つからない)
http://www.sf-fantasy.com/magazine/serials/develop/04.html
http://www.asahi-net.or.jp/~ft1t-ocai/jgk/Power3rd/Extra/itokawa.html
http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/d63ec22d7c41ab420f01b76d66dc2c12
これらは、朝日の記事で退官に追いやられたということくらいしか分からない。

今回の朝日の記事も、中村教授という世界をリードする癌遺伝子研究のトップランナーへのバッシングの可能性がある。
こういうことで先端研究が頓挫したり、研究者が海外に脱出したりしないかと、私はそれが心配です。
そして、もちろんこういう先端研究が成功することを期待している癌患者、その家族は、さらに心配でしょうし、怒りさえ覚えることでしょう。

この項、続く
posted by machiisha at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

トンデモ裁判2題

大野病院事件や大淀病院事件で少しは司法もまともになるかなと、かすかな期待を持っていたのですが、百年河清を待つってことがよく分かる事例を2例。
システム自体の問題だってことでもある。素人が専門判断を下すという本質的な部分に間違いがあり、そしてそれを直しようがないという本質的な問題であるだけに改善するすべがない。
我々としては自衛するしかない。

元記事が消失しまっているので、google検索でひっかかってきた2chの記事をコピー。
http://2chnull.info/r/hosp/1280904406/101-200
-----(ここから引用)-----
足骨折「半日放置」  川越市医師会を賠償提訴
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20100817-OYT8T01183.htm

 川越市の介護老人保健施設内で足を骨折したのに、約半日間も放置されたとして、元入所者で東京都足立区の女性(80)が17日、施設を運営する市医師会を相手取り、約1389万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。
 訴状によると、女性はパーキンソン病を患い、2008年5月に入所した。09年7月、トイレに行こうとして転倒し、
左の大腿骨(だいたいこつ)を骨折。女性は痛みを訴えたが、施設側は適切な検査を行わず、女性の家族から指摘されるまで骨折に気づかなかったとしている。女性は介助を受けなければ歩けない状態になったといい、原告代理人の副島洋明弁護士は「施設の過失は重大。利用者が大けがをしたのに、気づかないのはおかしい」と話している。
 川越市医師会は「訴状の内容がわからないのでコメントできない」としている。
-----(引用、終わり)-----

骨折から半日、それを「放置」と悪意に表現し訴える。そして1389万円ですか、なんとまぁ。
このスレッドに地元紙なのかな、詳細記事というのもあるので、それもコピー。
-----(ここから引用)-----
施設入所中に骨折し認知症 川越市医師会を提訴
http://www.saitama-np.co.jp/news08/18/05.html
 
 昨年7月、介護老人保健施設「いぶき」(川越市下小坂)で、入所していた東京都足立区の女性(80)が左大腿(だいたい)骨を骨折して寝たきり状態に陥り、認知症となったのは同施設の転倒事故への対処が不十分だった上、骨折した女性に適切な処置を行わなかったためだとして、女性の成年後見人の長女(55)=さいたま市=が17日、施設を経営する川越市医師会(山口現朗会長)に約1389万円の損害賠償を求める訴訟を、東京地裁に起こした。
 訴状によると、女性は施設を退所する昨年7月17日未明、同施設内で転倒し左脚を骨折。朝から痛みを訴えていたが、職員や医師が外傷の確認や診察、治療をしないまま、同日午後4時30分ごろ長女が迎えに来て退所した。女性は自動車に乗って間もなく、意識がもうろうとするなど容体が急変。そのまま別の病院に連れて行ったところ骨折が判明、緊急手術を受けた。
 女性は重体に陥ったものの、一命を取り留めた。だが、今年6月までリハビリ治療を強いられ、現在も寝たきり状態で川越市内の病院に入院している。同施設に入所中は見られなかった認知症が進行し、意思表示ができない状態になっているという。
 東京都内の司法記者クラブで会見した原告側代理人の副島洋明弁護士によると、パーキンソン病を患う女性は、一昨年5月に入所。手の震えがある女性は十分な食事時間が与えられず、栄養失調になったため退所を決めた。その直後の昨年7月6日、女性は家族に無断で認知症専門棟に移されている。同弁護士は「重大事故にしないための介助法があったはずだし、何よりも女性を放置した責任を問いたい」と争点を挙げた。
 川越市医師会は「女性がけがをしたのは事実だが、詳細は把握していない。訴状を見ていないので、コメントは控えたい」としている。同施設は「訴状を受け取ってから対応する」とコメントした。
-----(引用、終わり)-----

卵の名無しさん(ハンドル名無しということ)が「訴訟ビジネス」と書いているけど、この事件、それ以外評しようがない。
強調した部分、担当弁護士の言い分を読んで見て下さい。「気づかないのはおかしい」とか「重大事故にしないための介助法があったはずだ」とか、第三者の気楽な、そして実際は無理難題であることをよく平気で主張するもんだと思います。
この弁護士、どうも懲戒処分を受けているようで。
http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/30307597.html
-----(ここから引用)-----
④ 懲戒処分を受けた弁護士
氏名 副島 洋明 登録番号 17100 東京弁護士会
東京都荒川区東日暮里5
根岸いんくる法律事務所
懲戒処分    戒告
懲戒処分を受けた日   5月7日


ええっ!! 今,注目の裁判中のあの弁護士が懲戒処分か

遺言執行事件での放置や故意とみられる時効消滅等
得意とするものは頑張るのですが・・・・・
詳細は後日
-----(引用、終わり)-----

で、身体拘束裁判に関わっている人権派なのだそうな。
一宮身体拘束裁判
http://www.orcaland.gr.jp/kaleido/iryosaiban/H20ju2029.html

この事件、理不尽以外の何物でもないのですが、医学的に疑問なのがこの部分。
-----(ここから引用)-----
女性は自動車に乗って間もなく、意識がもうろうとするなど容体が急変。
そのまま別の病院に連れて行ったところ骨折が判明、緊急手術を受けた。

-----(引用、終わり)-----

骨折で緊急手術を必要とするものなど限られている。骨折自体が命に関わるというような場合や、開放骨折のような感染を起こすとか、血管や神経を損傷しているとかいうのでない限り、数日から1週間程度待つのは普通です。
(それゆえ、「半日放置」など、結果には関係ない。「半日放置」したから「介助を受けなければ歩けない状態になった」のでもないし、「今年6月までリハビリ治療を強いられ」るのでもないのです。)
「意識がもうろうとするなど容体が急変」などという全身状態が不良な場合はなおさらのことです。全身状態を改善させてからでないと手術をしてはいけない。
骨折、それも大腿骨のような大きな骨の骨折(たぶん大腿骨頸部骨折なのでしょう)の場合にはかなり内出血し、それだけでショック(血圧低下)になることもある。そういう場合は、まず輸血や輸液して、貧血や体液減少を改善してから手術というのが普通です。
時には、2、3日、手術場が詰まっていて空くのを待ってという場合さえある。骨折の手術というのはそういうものです。
それを、「緊急手術」ってどういうことなのか?

それと、容体を急変させた、つまり女性を自動車に移した人(つまり原告)には、落ち度はないのか?
こっちの方がよほど問題と思うけど、原告が持ち出すはずもなし、、、

次はこれ。
細菌性髄膜炎で死亡したのは初診時に、「症状から髄膜炎を疑うべきなのに、診察が不十分なうえ、設備の整った医療機関に転送させなかった過失がある」として、開業医が敗訴した裁判。
(鳥取)初診開業医に賠償命令
http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/9/14/125580/
-----(ここから引用)-----
地裁 患者死亡「問診が不十分」

 髄膜炎の症状を見過ごされ、治療の遅れから転院先で死亡したとして、境港市の男性会社員(当時40歳)の両親が同市内のたけのうち診療所(閉鎖)の50歳代の男性医師に慰謝料など約7500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、地裁米子支部であった。村田龍平裁判長は「十分な問診と、設備の整った医療機関への移送を怠った過失があった」として、医師に約5600万円の支払いを命じた。

 判決によると、男性は2001年12月、高熱や嘔吐(おうと)の症状を訴えて初めて同診療所で受診。解熱剤などを処方されて帰宅したが、症状は悪化し、翌日に救急搬送された病院で細菌性髄膜炎と診断された。その後、意識が回復しないまま、転院先の病院で05年1月に多臓器不全で死亡した。

 診療所では、感染症検査などを外部に委託しており、村田裁判長は「髄膜炎と断定することは困難だった」としたうえで、「髄膜炎を疑って特有の症状を確認するなどし、病院での検査を勧めていれば死亡は避けられた」と判断。一方で「過失がなくても後遺症が残った可能性がある」として損害額の3割を減じた。

 原告側の高橋敬幸弁護士は閉廷後「初診患者に対する問診の不十分さと死亡との因果関係が認められるのは極めて珍しい。初診の重要性を開業医に投げかける判決だ」と話した。

 被告側の川中修一弁護士は「短時間の診療で髄膜炎と見抜くのは難しい。医師と相談し、控訴を検討する」としている。
-----(引用、終わり)-----

いつも訪問している、、、
新小児科医のつぶやきさん
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20100916
こりゃ、どう転んでもみたいな・・・

うろうろドクターさん
http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/31951575.html
判決は、どちらの鑑定が採用されるかで決まる…

でも取り上げられていた。

後知恵で(つまり結果が分かった後になって)、髄膜炎を疑って特有の症状を確認するなどし、病院での検査を勧めていれば」などというを持ち出されては臨床はやってられない。これはこの手の裁判で何度も、何度も、そしていつも言われていることなのだが、裁判官には全く分かってもらえない。それも当然ではあるのです。この感覚を、臨床医療に素人に分かれというのに無理がある。裁判官も素人であるのに変わりはないのですから、こういう後知恵に基づく判決を下すのも分かる。分かるがそれを持ち出して現場に口を出されては、現場が壊れてしまう。これは、医療だけに限らない。

そして、この手の後知恵を持ち出すのは素人だけではない、医師にもいる。

この裁判記事、毎日新聞も書いているのですが、そこにはこうあります。
-----(ここから引用)-----
 判決は「症状から髄膜炎を疑うべきなのに、診察が不十分なうえ、設備の整った医療機関に転送させなかった過失がある」と判断。過失と死亡との因果関係も認定した。

 被告側は「初診で見抜くのは困難だった」と反論していたが、「重症の急性感染症が疑われ、設備の充実した医療機関を紹介すべきだった」とした岡山大の感染症専門家による鑑定結果を判決は全面的に採用した。
-----(引用、終わり)-----

後知恵を持ち出した鑑定医がいたのです。

Dr.Poohさんの考察がすばらしい。
私も全く同感です。
初診時の転送義務と後知恵鑑定
http://d.hatena.ne.jp/DrPooh/20100915/1284500927

外来には、多様な患者さんが来られる。
一見軽症そうにみえても、実はという地雷疾患が、その中に、希に、含まれている。ほとんどが、一見軽症そうで、実はの方も軽症というのがほとんどなのだが、ごく希にこの手の疾患が紛れ込んでいる。そういう地雷疾患をいつも疑い、診察しろ(そうやっていたら、どれほど実は軽症という患者さんに時間を無駄にさせることか)、「設備の整った医療機関に転送しろ」(そうしていたら、二次、三次救急はすぐにもパンクする)などと言える「鑑定医」がいるわけです。

それにしても、この後知恵鑑定をやった「岡山大の感染症専門家」って誰なんだろう。
第二の森功名心大先生か。
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2010年09月10日

帝京大学病院の院内感染事件にみる医療崩壊の構図

マスコミが大騒ぎ、それも無知でただただセンセーションを煽るだけの無内容な報道をする、それにつられて大衆が右往左往、中には正義感面してトンチンカンな義憤をブログなどで書いている者もいる。厚労省は例によって通達行政と、形ばかりの監査を行って責任回避をやっている(監督官庁がやることは、現場の応援であって、手足を縛ることではないのに)。
国、マスコミ、大衆が、医療機関に理不尽な要求をして来る以上は、医療機関は自分にできることを粛々とやるしかない。
それが、「自粛」なんでしょう。
救急自粛、診療自粛、入院自粛、、、

MRICからそれぞれの立場からの発言がメールで送られてきています。
先の「帝京大学病院におけるアウトブレイクの報道に思うこと」の森澤先生のは、私の他でもブログで取り上げているところがあるようです。
今回は、2つ、小松先生のと森兼先生のメッセージを転載しておきます。
まず小松先生のから。

-----(ここから引用)-----
「国民を元気にする政治」とは?

小松秀樹
2010年9月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 またぞろ、行政-マスメディア連合による犯人探しとバッシングが始まった。

 9月6日付のasahi.comによると、帝京大学病院の院内感染問題で、長妻厚生労働相は「重大な院内感染が発生したらルールにのっとって報告することが必要。きちんと機能しているのかどうか検証が必要だ」と話したという。9月6日の午後には立ち入り調査が行われた。警察による業務上過失致死傷を視野に入れた事情聴取も始まった。

 報告しなかったことが被害を拡大させたとする報道もあるが、報告することで被害が防げるわけではない。報告は、法律ではなく通知により求められているもので、厚労省からのお願いレベルのものだという。
 加罰的扱いをするには、立法が必要である。そうでなければ、行政の暴走が防げず、三権分立の意味がない。

 現実問題として、報告しても対策の財政的支援が得られるわけではなく、状況によっては不利益を伴う処分さえ下されかねない。厚労省は、無理を押し付けるということにおいて、医療現場から悪代官のような存在とみなされている。
 そもそも、報告をためらわせるような厚労省の姿勢に問題がある。厚労省の今後の対応によっては、さらに情報が集まりにくくなりかねない。

 報道によると、帝京大学病院の感染対策に問題があったとされる。しかし、安全対策には人的・物的資源が必要である。
 感染防止対策に不十分ながらも、診療報酬がついたのは、問題発生以後の、2010年4月からである。出来高払いでは、一人の患者が一回入院すると1000円が支払われる(DPCでもほぼ同額になる)。亀田総合病院で年間2000万円程度になる。しかし、感染対策室には、専従職員が3名、検査室との兼任の感染症の専門医が1名、他に感染症科の医師が5名常時活動している。大病院でも、4月以前に十分な対応できていたところは少ない。
 多くの病院で、対応の努力を始めた段階にあると考えるべきである。実際、診療報酬はぎりぎりに抑制され、多くの病院が赤字に苦しんでいる。報酬が発生しないところに費用をかける余裕がない。これに加えて、感染対策を専門とする医師、看護師は少なく、すべての病院が厚労省の求める人材を確保できる状況にはない。

 検査体制を整えている病院で、多剤耐性菌による院内感染を経験していない病院はない。常に対応をし続けているといってよい。
 多くは弱毒性で、健常人には病原性がないが、化学療法を受けている進行がん患者や、大手術を受けた患者など、免疫力が低下している患者ではときに致命的になる。
 世界の専門家から様々な認識や対応が発表されている。人的、財政的制限があるので、あらゆる対応がとれるわけではない。院内感染は、医療側の対応と新たな問題の発生で、時々刻々、その様相を変えている。
 院内感染の撲滅が当面不可能であること、人間の生命が有限であること、医療が不完全であることを前提に、冷静に実情を認識すべきである。不可能なことを規範化すると、士気の低下を招き、医療現場が荒廃する。

 問題になった多剤耐性アシネトバクター・バウマニは乾燥に強く、栄養要求性が低いという。このため、近年、院内感染の主役だったMRSAと異なり、環境に広く分布し、死滅しにくい。手洗い中心だったこれまでの対応で制御しきれないこともあろう。

 厚労省は、規範との整合性ではなく、社会にもたらす結果を基準に、すなわち、今後の耐性菌による被害を最小限にするのに有用かどうかを基準に、対応すべきである。
 具体的には、現場の心理的障壁を小さくして情報を集めやすくすること、集まった情報をすべて開示すること、現場の対策を支援することである。
 厚労省が、さまざまな背景を持つ現場に、罰則による威嚇を伴った一律の指令を出すことは、院内感染対策には有害無益である。対応するのは厚労省ではなく、多様な背景を持つ現場である。厚労省はその援助しかできない。


 行政は法による統治機構であり、原理的に医療を上手に扱えない。物事がうまくいかないとき、自ら学習せずに、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとする。原理主義的で適応性に乏しい。これに対し、医学・医療では、物事がうまくいかないとき、自ら学習し、知識・技術を進歩させる。実情の認識を基本とするので、無理な規範を振り回すことがなく、適応性に富む。

 CDC(アメリカ疾病予防管理センター)では、刻々と変化する医療の状況に科学で対応するために、行政官ではなく、医師が主導権をもっている。
 逆に、日本の厚労省は、自らの責任回避のために、現場を細かく縛る無理な規範を設定して常に現場を違反状態におく。問題が浮上してくると、現場に責任を押し付ける。新型インフルエンザ騒動では、水際作戦に代表されるように、無理な規範を掲げて、実質的に強制力を伴う事務連絡を連発し、無残な失敗を重ねた。

 報道機関から漏れ聞くところでは、厚労省が加罰的対応をしているのは、帝京大学での沖永家による支配体制が気に入らないからだという。ガバナンスに問題があるのなら、院内感染と切り離して、ガバナンスに問題があることを真正面からとりあげるべきではないか。別件逮捕のようなことをすると、院内感染対策が歪む。

 古い体験を話す。35年前、東京大学泌尿器科学教室では細菌培養を中央検査室ではなく、教室の研究室で実施していた。そのデータは病院全体の感染管理に還元されていたわけではない。大学は各科の独立性が強く、病院全体のガバナンスはほとんどなかった。

 病院のガバナンスは、比較的最近、輸入された考え方である。しかも、望ましい医療機関のガバナンス像は常に変化している。例えば、国際的な病院評価機関であるJCIはガバナンスも評価しているが、数年ごとに基準を変更している。医療機関のガバナンスの実態も常に変化している。しかも実際の医療機関は極めて多様である。望ましい定常状態を想定してそれを押し付けること自体無理がある。

 全国の大学病院のガバナンスの実態はどうなのか。その中で、とくに帝京大学が劣っていたのか。多少なりとも問題のない病院はあり得ない。ガバナンスのありようを外部から強権で変えること自体、ガバナンスを傷つける。厚労省からの天下り役人が帝京大学を支配するようなことがあれば、かえって弊害が出かねない。
 実際、厚労省の天下り役人が支配してきた骨髄移植財団では、天下り役人がセクハラ、パワハラを繰り返し、大量の退職者が出た。財団は、セクハラ、パワハラに抗議した部長を解雇したが、不当解雇だとして訴えられ、敗訴した。


 良いガバナンスとは、制御の利いた合理的な自律である。内部に真摯な動きがないと、いくら外部から叩いても、改革は成功しない。具体名はあげないが、複数の大学の例が実証しているように思える。

 そもそも、帝京大学のガバナンスが悪かったから耐性菌の問題が明らかになったのか、改善されたから明らかになったのか。漏れ聞くところでは、事件後4月に新院長に就任した森田茂穂氏の英断で、外部調査委員会が開かれ、すべてが開示された。望ましい自律の動きが始まった可能性がある。

 菅直人総理大臣は国民を元気にする政治を唱えている。私は、菅総理の考え方に大賛成である。
 フランスの政治哲学者であるトクビルは、政治的中央集権を評価するが、行政的中央集権を嫌う。『アメリカの民主政治』の中で、菅総理と似た考えを提示している。
 トクビルの意見を要約すると、以下のようになる。

「国家が、国民生活の些細な部分まで支配すると、有能で活発な人間が、人々や社会に影響を与えられなくなる。国家は、人々を国家に頼らせ、自立できないようにしてしまう。国民は、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる。国民は、あらゆることを国家に頼るようになって、元気がなくなる。国家が衰えると、自力で生きられない元気のない国民は滅びる。」

 行政権力は、日々更新されている医学的合理性と大量の情報を活用するための行動原理と能力を有していない。従来、行政権力が無理な規範で医療を統制することを、自民党が支えてきた。
 日本医師会は行政権力の下請けになっていた。これに、日本の医師の多くが反発し、2009年の総選挙で、民主党に投票した。選挙前の何年かの医療をめぐる議論が、政治の大きな流れを変える一因になった。
 医師たちは、政務三役に、行政権力の制御を期待した。長妻大臣の対応は、旧来の自民党と同じであり、日本人の元気を奪うものである。失望を禁じ得ない。
-----(引用、終わり)-----

安全対策には人的・物的資源が必要である。
厚労相は、多様な背景を持つ現場の、それぞれの現場の対策を、人的、物的、資金的に支援することである。
罰則による威嚇を伴った一律の指令を出すことは、院内感染対策には有害無益である。
そして、トンチンカンな報道、主張しかできないマスコミなど、存在自体が有害無益、少なくとも感染症対策には。
特に、産経のこの社説などその典型と言える。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100907/bdy1009070244001-n1.htm
誰か、あるいはどこかに悪い奴がいるはずだから、そいつを罰しろというだけの、感染症対策には無益どころか有害でさえある主張、この新聞社の無能さがよく現れている社説であります。無能であるが故に、事実を正確に把握できず、その結果として有益な主張ができないものだから、誰か他人、自分以外の他人を悪者にして罵ることで、さも何かを主張しているつもりになっている。
この新聞社、医療関係以外も同様なのかもしれない。いや、その可能性が高いと思う。

次に森兼先生のメッセージ。
-----(ここから引用)-----
多剤耐性アシネトバクター集団検出事例を受けて

森兼啓太
山形大学医学部附属病院 検査部
2010年9月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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問題点はすでに森澤・大磯・木村の諸氏(Vol 279,281,283)により詳細に記述されているが、国のデータや先行事例も含めて解説させて頂く。

1)多剤耐性アシネトバクターはどの医療機関でも検出されうる

厚労省事業であるJANIS(院内感染対策サーベイランス)では、全国の医療機関の臨床検査室から収集された細菌に関するデータを分析している。それによれば、2007年7月~2009年12月までの2年半で、アシネトバクターは全菌株の2.2%(3,218,820株中71,657株)を占めている。
すなわち、医療機関における臨床検査によって普通に検出される菌である。
そのうち多剤耐性(カルバペネム、アミノグリコシド、フルオロキノロンの3系統の抗菌薬すべてに耐性を示すものと定義)は98株、0.14%であった。つまり、アシネトバクター700株中1株程度が多剤耐性を示すという結果であり、比較的まれとも言えるが、逆に言えば臨床のための検体検査を積極的に実施している医療機関では1株や2株はどこでも検出しうる。

2)多剤耐性アシネトバクターは感染力が弱い

健康人においては、大量のアシネトバクターを静脈内注射でもしない限り、感染症を発症することはない。多剤耐性アシネトバクター(以下、MDRABと略す)であってもそれは同じことである。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が健常人において皮膚感染症などを起こすのと対照的である。
また、重症集中治療中の患者や免疫低下状態にある患者であっても、最初に感染症を発症させる細菌ではなく、その他の細菌による感染症がたいてい先立つ。それらに対して有効な抗菌薬が投与され、それらの菌が追いやられた後にやってくるのがアシネトバクターだと考えればわかりやすい。

3)MDRABに対する治療薬が非常に限定されている

一口に「多剤耐性」と言っても、耐性の定義のもとになる3系統以外の抗菌薬に対する感受性は異なる。しかし、概してほとんどの抗菌薬が無効であり、わずかにコリスチンやティゲサイクリンが有効であるケースが少なくない。
しかし両者は日本で薬剤として承認・販売されておらず、使用するには個人輸入するしかない。とはいえ、一刻を争う抗菌薬治療において、個人輸入の手続きを取っている時間はなく、この選択肢はないに等しい。ドラッグラグの弊害がこのようなところにも現れている。

4)厳格な院内感染対策が必要

上記のように、重症集中治療中の患者や免疫低下状態にある患者において、生死の境目で必死にこらえている状態に対して最後の一押しになりかねない感染症がMDRABによる感染症である。従って、これらの患者に対してMDRABを付けない、運ばない対策が必要である。
検体検査においてMDRABが検出された患者がいた場合、厳格な接触予防策を講じて他の患者への伝播を可及的に防ぐことが必須である。感染予防策は当該患者の診療にかかわるすべての職種が実施しなければならず、当該患者からMDRABが分離されていることが情報共有されなければならない。

5)さらに厳格な対策が必要になる場合もある

MDRABは乾燥した環境中で数ヶ月にわたって生存することができる。昨年の福岡大学病院における集団伝播事例では、環境調査によって患者の療養環境の様々な部位(オーバーテーブル、ベッド柵など)からMDRABが分離されている。このような状況では、通常の院内清掃(高頻度接触局面を清拭する)程度ではMDRABを除去することができず、いつまでたっても伝播が終息しないことが懸念される。

6)感染制御部の主体的リードが不可欠

帝京大学の事例の詳細はこれから明らかになるであろう。筆者が収集しえた情報によれば、上記4)の部分において、MDRABが当該患者から検出されていることに関する情報共有が不十分だったと考えられる。大学病院においては一般に感染制御部がその任を負っており、検体分離菌情報を検査室から速やかに入手し、現場に赴き必要な感染対策を指示し、その後もその遵守状況を監視し、スタッフの疑問に答えるなどのフォローをする。これらの体制が不十分だったことは間違いない。

7)必要に応じて他施設や行政の支援を仰ぐ

どの医療機関も決して十分とは言えない人的物的資源で医療を行い、国民の健康を支えている。帝京大学の事例では、数カ所の病棟でMDRABが検出され、伝播が止まらず、感染制御部の情報収集や対策実施に限界が来ていたことは間違いない。その時点、具体的には4月に10例程度の症例が同定された時点で、他施設や行政の支援を仰ぐべきであったと考える。
昨年の福岡大学の事例でも、様々な対策を取ったにもかかわらず伝播が終息しないことを受け、地域の保健所や九州厚生局、筆者および筆者が当時所属した国立感染症研究所に相談があり、病院とこれらの機関が一体となって調査や対応を行い、アウトブレイクは終息した。
アメリカでもMDRAB の集団発生事例に対してはCDCの疫学チームが何度か調査に入っている。院内感染対策の専門家も医療機関のマンパワーも日本よりはるかに多く、CDCで訓練を受けた疫学の専門家が州の保健衛生部局に常駐する国ですら、CDCが調査に乗り出している。それくらいMDRABの集団発生は御しがたい。支援を仰ぐことは何ら恥ずべきことではない。

8)警察の捜査は有害無益

本事例に今最も必要なのは、集団発生の疫学調査と、これ以上の保菌伝播を防ぐための現場の院内感染対策の実施である。警察による捜査が何を意図しているかわからないが、捜査により医療従事者が余計な時間をとられ、医療に従事する時間を削減されるのは百害あって一利なしである。
ところが、報道によれば都内の他の病院でもMDRABが複数検出された事例が明らかになり、そこに警察が捜査に入っているとのこと。警察の捜査は、医療者が故意に患者に不利益をもたらす医療行為を行っている場合に限定されるべきである。
当局の謙抑的姿勢を求めるものであり、行き過ぎれば警察権力と医療の対立という構図になりかねない。アメリカでは南部のある州で産科医療においてあまりに訴訟が頻発したため、弁護士と医療が対立する構図となり、産科医が弁護士およびその配偶者の出産を一切取り扱わないという事態に発展したことがある。このような不毛な争いは誰の利益にもならない。
-----(引用、終わり)-----

帝京大学病院の院内感染対策は「情報共有」について不十分であった。
どの医療機関も決して十分とは言えない人的物的資源で医療を行い、国民の健康を支えている。それ故、必要に応じて他施設や行政の支援を仰ぐべきである。
帝京大学病院の院内感染事件においては、「具体的には4月に10例程度の症例が同定された時点で、他施設や行政の支援を仰ぐべきであった」。
以上が専門家の主張。
ここに警察が介入する余地はないし、余地がないどころか逆に警察の捜査は有害無益である。捜査により医療従事者が余計な時間をとられ、医療に従事する時間を削減されるのは百害あって一利なしである。
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