大野病院事件や大淀病院事件で少しは司法もまともになるかなと、かすかな期待を持っていたのですが、百年河清を待つってことがよく分かる事例を2例。
システム自体の問題だってことでもある。素人が専門判断を下すという本質的な部分に間違いがあり、そしてそれを直しようがないという本質的な問題であるだけに改善するすべがない。
我々としては自衛するしかない。
元記事が消失しまっているので、google検索でひっかかってきた2chの記事をコピー。
http://2chnull.info/r/hosp/1280904406/101-200
-----(ここから引用)-----
足骨折「半日放置」 川越市医師会を賠償提訴
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20100817-OYT8T01183.htm
川越市の介護老人保健施設内で足を骨折したのに、約半日間も放置されたとして、元入所者で東京都足立区の女性(80)が17日、施設を運営する市医師会を相手取り、約1389万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。
訴状によると、女性はパーキンソン病を患い、2008年5月に入所した。09年7月、トイレに行こうとして転倒し、
左の大腿骨(だいたいこつ)を骨折。女性は痛みを訴えたが、施設側は適切な検査を行わず、女性の家族から指摘されるまで骨折に気づかなかったとしている。女性は介助を受けなければ歩けない状態になったといい、原告代理人の副島洋明弁護士は「施設の過失は重大。利用者が大けがをしたのに、気づかないのはおかしい」と話している。
川越市医師会は「訴状の内容がわからないのでコメントできない」としている。
-----(引用、終わり)-----
骨折から半日、それを「放置」と悪意に表現し訴える。そして1389万円ですか、なんとまぁ。
このスレッドに地元紙なのかな、詳細記事というのもあるので、それもコピー。
-----(ここから引用)-----
施設入所中に骨折し認知症 川越市医師会を提訴
http://www.saitama-np.co.jp/news08/18/05.html
昨年7月、介護老人保健施設「いぶき」(川越市下小坂)で、入所していた東京都足立区の女性(80)が左大腿(だいたい)骨を骨折して寝たきり状態に陥り、認知症となったのは同施設の転倒事故への対処が不十分だった上、骨折した女性に適切な処置を行わなかったためだとして、女性の成年後見人の長女(55)=さいたま市=が17日、施設を経営する川越市医師会(山口現朗会長)に約1389万円の損害賠償を求める訴訟を、東京地裁に起こした。
訴状によると、女性は施設を退所する昨年7月17日未明、同施設内で転倒し左脚を骨折。朝から痛みを訴えていたが、職員や医師が外傷の確認や診察、治療をしないまま、同日午後4時30分ごろ長女が迎えに来て退所した。女性は自動車に乗って間もなく、意識がもうろうとするなど容体が急変。そのまま別の病院に連れて行ったところ骨折が判明、緊急手術を受けた。
女性は重体に陥ったものの、一命を取り留めた。だが、今年6月までリハビリ治療を強いられ、現在も寝たきり状態で川越市内の病院に入院している。同施設に入所中は見られなかった認知症が進行し、意思表示ができない状態になっているという。
東京都内の司法記者クラブで会見した原告側代理人の副島洋明弁護士によると、パーキンソン病を患う女性は、一昨年5月に入所。手の震えがある女性は十分な食事時間が与えられず、栄養失調になったため退所を決めた。その直後の昨年7月6日、女性は家族に無断で認知症専門棟に移されている。同弁護士は「重大事故にしないための介助法があったはずだし、何よりも女性を放置した責任を問いたい」と争点を挙げた。
川越市医師会は「女性がけがをしたのは事実だが、詳細は把握していない。訴状を見ていないので、コメントは控えたい」としている。同施設は「訴状を受け取ってから対応する」とコメントした。
-----(引用、終わり)-----
卵の名無しさん(ハンドル名無しということ)が「訴訟ビジネス」と書いているけど、この事件、それ以外評しようがない。
強調した部分、担当弁護士の言い分を読んで見て下さい。「気づかないのはおかしい」とか「重大事故にしないための介助法があったはずだ」とか、第三者の気楽な、そして実際は無理難題であることをよく平気で主張するもんだと思います。
この弁護士、どうも懲戒処分を受けているようで。
http://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/30307597.html
-----(ここから引用)-----
④ 懲戒処分を受けた弁護士
氏名 副島 洋明 登録番号 17100 東京弁護士会
東京都荒川区東日暮里5
根岸いんくる法律事務所
懲戒処分 戒告
懲戒処分を受けた日 5月7日
ええっ!! 今,注目の裁判中のあの弁護士が懲戒処分か
遺言執行事件での放置や故意とみられる時効消滅等
得意とするものは頑張るのですが・・・・・
詳細は後日
-----(引用、終わり)-----
で、身体拘束裁判に関わっている人権派なのだそうな。
一宮身体拘束裁判
http://www.orcaland.gr.jp/kaleido/iryosaiban/H20ju2029.html
この事件、理不尽以外の何物でもないのですが、医学的に疑問なのがこの部分。
-----(ここから引用)-----
女性は自動車に乗って間もなく、意識がもうろうとするなど容体が急変。
そのまま別の病院に連れて行ったところ骨折が判明、緊急手術を受けた。
-----(引用、終わり)-----
骨折で緊急手術を必要とするものなど限られている。骨折自体が命に関わるというような場合や、開放骨折のような感染を起こすとか、血管や神経を損傷しているとかいうのでない限り、数日から1週間程度待つのは普通です。
(それゆえ、「半日放置」など、結果には関係ない。「半日放置」したから「介助を受けなければ歩けない状態になった」のでもないし、「今年6月までリハビリ治療を強いられ」るのでもないのです。)
「意識がもうろうとするなど容体が急変」などという全身状態が不良な場合はなおさらのことです。全身状態を改善させてからでないと手術をしてはいけない。
骨折、それも大腿骨のような大きな骨の骨折(たぶん大腿骨頸部骨折なのでしょう)の場合にはかなり内出血し、それだけでショック(血圧低下)になることもある。そういう場合は、まず輸血や輸液して、貧血や体液減少を改善してから手術というのが普通です。
時には、2、3日、手術場が詰まっていて空くのを待ってという場合さえある。骨折の手術というのはそういうものです。
それを、「緊急手術」ってどういうことなのか?
それと、容体を急変させた、つまり女性を自動車に移した人(つまり原告)には、落ち度はないのか?
こっちの方がよほど問題と思うけど、原告が持ち出すはずもなし、、、
次はこれ。
細菌性髄膜炎で死亡したのは初診時に、「症状から髄膜炎を疑うべきなのに、診察が不十分なうえ、設備の整った医療機関に転送させなかった過失がある」として、開業医が敗訴した裁判。
(鳥取)初診開業医に賠償命令
http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/9/14/125580/
-----(ここから引用)-----
地裁 患者死亡「問診が不十分」
髄膜炎の症状を見過ごされ、治療の遅れから転院先で死亡したとして、境港市の男性会社員(当時40歳)の両親が同市内のたけのうち診療所(閉鎖)の50歳代の男性医師に慰謝料など約7500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、地裁米子支部であった。村田龍平裁判長は「十分な問診と、設備の整った医療機関への移送を怠った過失があった」として、医師に約5600万円の支払いを命じた。
判決によると、男性は2001年12月、高熱や嘔吐(おうと)の症状を訴えて初めて同診療所で受診。解熱剤などを処方されて帰宅したが、症状は悪化し、翌日に救急搬送された病院で細菌性髄膜炎と診断された。その後、意識が回復しないまま、転院先の病院で05年1月に多臓器不全で死亡した。
診療所では、感染症検査などを外部に委託しており、村田裁判長は「髄膜炎と断定することは困難だった」としたうえで、「髄膜炎を疑って特有の症状を確認するなどし、病院での検査を勧めていれば死亡は避けられた」と判断。一方で「過失がなくても後遺症が残った可能性がある」として損害額の3割を減じた。
原告側の高橋敬幸弁護士は閉廷後「初診患者に対する問診の不十分さと死亡との因果関係が認められるのは極めて珍しい。初診の重要性を開業医に投げかける判決だ」と話した。
被告側の川中修一弁護士は「短時間の診療で髄膜炎と見抜くのは難しい。医師と相談し、控訴を検討する」としている。
-----(引用、終わり)-----
いつも訪問している、、、
新小児科医のつぶやきさん
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20100916
こりゃ、どう転んでもみたいな・・・
うろうろドクターさん
http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/31951575.html
判決は、どちらの鑑定が採用されるかで決まる…
でも取り上げられていた。
後知恵で(つまり結果が分かった後になって)、髄膜炎を疑って特有の症状を確認するなどし、病院での検査を勧めていれば」などというを持ち出されては臨床はやってられない。これはこの手の裁判で何度も、何度も、そしていつも言われていることなのだが、裁判官には全く分かってもらえない。それも当然ではあるのです。この感覚を、臨床医療に素人に分かれというのに無理がある。裁判官も素人であるのに変わりはないのですから、こういう後知恵に基づく判決を下すのも分かる。分かるがそれを持ち出して現場に口を出されては、現場が壊れてしまう。これは、医療だけに限らない。
そして、この手の後知恵を持ち出すのは素人だけではない、医師にもいる。
この裁判記事、毎日新聞も書いているのですが、そこにはこうあります。
-----(ここから引用)-----
判決は「症状から髄膜炎を疑うべきなのに、診察が不十分なうえ、設備の整った医療機関に転送させなかった過失がある」と判断。過失と死亡との因果関係も認定した。
被告側は「初診で見抜くのは困難だった」と反論していたが、「重症の急性感染症が疑われ、設備の充実した医療機関を紹介すべきだった」とした岡山大の感染症専門家による鑑定結果を判決は全面的に採用した。
-----(引用、終わり)-----
後知恵を持ち出した鑑定医がいたのです。
Dr.Poohさんの考察がすばらしい。
私も全く同感です。
初診時の転送義務と後知恵鑑定
http://d.hatena.ne.jp/DrPooh/20100915/1284500927
外来には、多様な患者さんが来られる。
一見軽症そうにみえても、実はという地雷疾患が、その中に、希に、含まれている。ほとんどが、一見軽症そうで、実はの方も軽症というのがほとんどなのだが、ごく希にこの手の疾患が紛れ込んでいる。そういう地雷疾患をいつも疑い、診察しろ(そうやっていたら、どれほど実は軽症という患者さんに時間を無駄にさせることか)、「設備の整った医療機関に転送しろ」(そうしていたら、二次、三次救急はすぐにもパンクする)などと言える「鑑定医」がいるわけです。
それにしても、この後知恵鑑定をやった「岡山大の感染症専門家」って誰なんだろう。
第二の森功名心大先生か。
2010年09月24日
2010年09月10日
帝京大学病院の院内感染事件にみる医療崩壊の構図
マスコミが大騒ぎ、それも無知でただただセンセーションを煽るだけの無内容な報道をする、それにつられて大衆が右往左往、中には正義感面してトンチンカンな義憤をブログなどで書いている者もいる。厚労省は例によって通達行政と、形ばかりの監査を行って責任回避をやっている(監督官庁がやることは、現場の応援であって、手足を縛ることではないのに)。
国、マスコミ、大衆が、医療機関に理不尽な要求をして来る以上は、医療機関は自分にできることを粛々とやるしかない。
それが、「自粛」なんでしょう。
救急自粛、診療自粛、入院自粛、、、
MRICからそれぞれの立場からの発言がメールで送られてきています。
先の「帝京大学病院におけるアウトブレイクの報道に思うこと」の森澤先生のは、私の他でもブログで取り上げているところがあるようです。
今回は、2つ、小松先生のと森兼先生のメッセージを転載しておきます。
まず小松先生のから。
-----(ここから引用)-----
「国民を元気にする政治」とは?
小松秀樹
2010年9月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
またぞろ、行政-マスメディア連合による犯人探しとバッシングが始まった。
9月6日付のasahi.comによると、帝京大学病院の院内感染問題で、長妻厚生労働相は「重大な院内感染が発生したらルールにのっとって報告することが必要。きちんと機能しているのかどうか検証が必要だ」と話したという。9月6日の午後には立ち入り調査が行われた。警察による業務上過失致死傷を視野に入れた事情聴取も始まった。
報告しなかったことが被害を拡大させたとする報道もあるが、報告することで被害が防げるわけではない。報告は、法律ではなく通知により求められているもので、厚労省からのお願いレベルのものだという。
加罰的扱いをするには、立法が必要である。そうでなければ、行政の暴走が防げず、三権分立の意味がない。
現実問題として、報告しても対策の財政的支援が得られるわけではなく、状況によっては不利益を伴う処分さえ下されかねない。厚労省は、無理を押し付けるということにおいて、医療現場から悪代官のような存在とみなされている。
そもそも、報告をためらわせるような厚労省の姿勢に問題がある。厚労省の今後の対応によっては、さらに情報が集まりにくくなりかねない。
報道によると、帝京大学病院の感染対策に問題があったとされる。しかし、安全対策には人的・物的資源が必要である。
感染防止対策に不十分ながらも、診療報酬がついたのは、問題発生以後の、2010年4月からである。出来高払いでは、一人の患者が一回入院すると1000円が支払われる(DPCでもほぼ同額になる)。亀田総合病院で年間2000万円程度になる。しかし、感染対策室には、専従職員が3名、検査室との兼任の感染症の専門医が1名、他に感染症科の医師が5名常時活動している。大病院でも、4月以前に十分な対応できていたところは少ない。
多くの病院で、対応の努力を始めた段階にあると考えるべきである。実際、診療報酬はぎりぎりに抑制され、多くの病院が赤字に苦しんでいる。報酬が発生しないところに費用をかける余裕がない。これに加えて、感染対策を専門とする医師、看護師は少なく、すべての病院が厚労省の求める人材を確保できる状況にはない。
検査体制を整えている病院で、多剤耐性菌による院内感染を経験していない病院はない。常に対応をし続けているといってよい。
多くは弱毒性で、健常人には病原性がないが、化学療法を受けている進行がん患者や、大手術を受けた患者など、免疫力が低下している患者ではときに致命的になる。
世界の専門家から様々な認識や対応が発表されている。人的、財政的制限があるので、あらゆる対応がとれるわけではない。院内感染は、医療側の対応と新たな問題の発生で、時々刻々、その様相を変えている。
院内感染の撲滅が当面不可能であること、人間の生命が有限であること、医療が不完全であることを前提に、冷静に実情を認識すべきである。不可能なことを規範化すると、士気の低下を招き、医療現場が荒廃する。
問題になった多剤耐性アシネトバクター・バウマニは乾燥に強く、栄養要求性が低いという。このため、近年、院内感染の主役だったMRSAと異なり、環境に広く分布し、死滅しにくい。手洗い中心だったこれまでの対応で制御しきれないこともあろう。
厚労省は、規範との整合性ではなく、社会にもたらす結果を基準に、すなわち、今後の耐性菌による被害を最小限にするのに有用かどうかを基準に、対応すべきである。
具体的には、現場の心理的障壁を小さくして情報を集めやすくすること、集まった情報をすべて開示すること、現場の対策を支援することである。
厚労省が、さまざまな背景を持つ現場に、罰則による威嚇を伴った一律の指令を出すことは、院内感染対策には有害無益である。対応するのは厚労省ではなく、多様な背景を持つ現場である。厚労省はその援助しかできない。
行政は法による統治機構であり、原理的に医療を上手に扱えない。物事がうまくいかないとき、自ら学習せずに、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとする。原理主義的で適応性に乏しい。これに対し、医学・医療では、物事がうまくいかないとき、自ら学習し、知識・技術を進歩させる。実情の認識を基本とするので、無理な規範を振り回すことがなく、適応性に富む。
CDC(アメリカ疾病予防管理センター)では、刻々と変化する医療の状況に科学で対応するために、行政官ではなく、医師が主導権をもっている。
逆に、日本の厚労省は、自らの責任回避のために、現場を細かく縛る無理な規範を設定して常に現場を違反状態におく。問題が浮上してくると、現場に責任を押し付ける。新型インフルエンザ騒動では、水際作戦に代表されるように、無理な規範を掲げて、実質的に強制力を伴う事務連絡を連発し、無残な失敗を重ねた。
報道機関から漏れ聞くところでは、厚労省が加罰的対応をしているのは、帝京大学での沖永家による支配体制が気に入らないからだという。ガバナンスに問題があるのなら、院内感染と切り離して、ガバナンスに問題があることを真正面からとりあげるべきではないか。別件逮捕のようなことをすると、院内感染対策が歪む。
古い体験を話す。35年前、東京大学泌尿器科学教室では細菌培養を中央検査室ではなく、教室の研究室で実施していた。そのデータは病院全体の感染管理に還元されていたわけではない。大学は各科の独立性が強く、病院全体のガバナンスはほとんどなかった。
病院のガバナンスは、比較的最近、輸入された考え方である。しかも、望ましい医療機関のガバナンス像は常に変化している。例えば、国際的な病院評価機関であるJCIはガバナンスも評価しているが、数年ごとに基準を変更している。医療機関のガバナンスの実態も常に変化している。しかも実際の医療機関は極めて多様である。望ましい定常状態を想定してそれを押し付けること自体無理がある。
全国の大学病院のガバナンスの実態はどうなのか。その中で、とくに帝京大学が劣っていたのか。多少なりとも問題のない病院はあり得ない。ガバナンスのありようを外部から強権で変えること自体、ガバナンスを傷つける。厚労省からの天下り役人が帝京大学を支配するようなことがあれば、かえって弊害が出かねない。
実際、厚労省の天下り役人が支配してきた骨髄移植財団では、天下り役人がセクハラ、パワハラを繰り返し、大量の退職者が出た。財団は、セクハラ、パワハラに抗議した部長を解雇したが、不当解雇だとして訴えられ、敗訴した。
良いガバナンスとは、制御の利いた合理的な自律である。内部に真摯な動きがないと、いくら外部から叩いても、改革は成功しない。具体名はあげないが、複数の大学の例が実証しているように思える。
そもそも、帝京大学のガバナンスが悪かったから耐性菌の問題が明らかになったのか、改善されたから明らかになったのか。漏れ聞くところでは、事件後4月に新院長に就任した森田茂穂氏の英断で、外部調査委員会が開かれ、すべてが開示された。望ましい自律の動きが始まった可能性がある。
菅直人総理大臣は国民を元気にする政治を唱えている。私は、菅総理の考え方に大賛成である。
フランスの政治哲学者であるトクビルは、政治的中央集権を評価するが、行政的中央集権を嫌う。『アメリカの民主政治』の中で、菅総理と似た考えを提示している。
トクビルの意見を要約すると、以下のようになる。
「国家が、国民生活の些細な部分まで支配すると、有能で活発な人間が、人々や社会に影響を与えられなくなる。国家は、人々を国家に頼らせ、自立できないようにしてしまう。国民は、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる。国民は、あらゆることを国家に頼るようになって、元気がなくなる。国家が衰えると、自力で生きられない元気のない国民は滅びる。」
行政権力は、日々更新されている医学的合理性と大量の情報を活用するための行動原理と能力を有していない。従来、行政権力が無理な規範で医療を統制することを、自民党が支えてきた。
日本医師会は行政権力の下請けになっていた。これに、日本の医師の多くが反発し、2009年の総選挙で、民主党に投票した。選挙前の何年かの医療をめぐる議論が、政治の大きな流れを変える一因になった。
医師たちは、政務三役に、行政権力の制御を期待した。長妻大臣の対応は、旧来の自民党と同じであり、日本人の元気を奪うものである。失望を禁じ得ない。
-----(引用、終わり)-----
安全対策には人的・物的資源が必要である。
厚労相は、多様な背景を持つ現場の、それぞれの現場の対策を、人的、物的、資金的に支援することである。
罰則による威嚇を伴った一律の指令を出すことは、院内感染対策には有害無益である。
そして、トンチンカンな報道、主張しかできないマスコミなど、存在自体が有害無益、少なくとも感染症対策には。
特に、産経のこの社説などその典型と言える。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100907/bdy1009070244001-n1.htm
誰か、あるいはどこかに悪い奴がいるはずだから、そいつを罰しろというだけの、感染症対策には無益どころか有害でさえある主張、この新聞社の無能さがよく現れている社説であります。無能であるが故に、事実を正確に把握できず、その結果として有益な主張ができないものだから、誰か他人、自分以外の他人を悪者にして罵ることで、さも何かを主張しているつもりになっている。
この新聞社、医療関係以外も同様なのかもしれない。いや、その可能性が高いと思う。
次に森兼先生のメッセージ。
-----(ここから引用)-----
多剤耐性アシネトバクター集団検出事例を受けて
森兼啓太
山形大学医学部附属病院 検査部
2010年9月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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問題点はすでに森澤・大磯・木村の諸氏(Vol 279,281,283)により詳細に記述されているが、国のデータや先行事例も含めて解説させて頂く。
1)多剤耐性アシネトバクターはどの医療機関でも検出されうる
厚労省事業であるJANIS(院内感染対策サーベイランス)では、全国の医療機関の臨床検査室から収集された細菌に関するデータを分析している。それによれば、2007年7月~2009年12月までの2年半で、アシネトバクターは全菌株の2.2%(3,218,820株中71,657株)を占めている。
すなわち、医療機関における臨床検査によって普通に検出される菌である。そのうち多剤耐性(カルバペネム、アミノグリコシド、フルオロキノロンの3系統の抗菌薬すべてに耐性を示すものと定義)は98株、0.14%であった。つまり、アシネトバクター700株中1株程度が多剤耐性を示すという結果であり、比較的まれとも言えるが、逆に言えば臨床のための検体検査を積極的に実施している医療機関では1株や2株はどこでも検出しうる。
2)多剤耐性アシネトバクターは感染力が弱い
健康人においては、大量のアシネトバクターを静脈内注射でもしない限り、感染症を発症することはない。多剤耐性アシネトバクター(以下、MDRABと略す)であってもそれは同じことである。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が健常人において皮膚感染症などを起こすのと対照的である。
また、重症集中治療中の患者や免疫低下状態にある患者であっても、最初に感染症を発症させる細菌ではなく、その他の細菌による感染症がたいてい先立つ。それらに対して有効な抗菌薬が投与され、それらの菌が追いやられた後にやってくるのがアシネトバクターだと考えればわかりやすい。
3)MDRABに対する治療薬が非常に限定されている
一口に「多剤耐性」と言っても、耐性の定義のもとになる3系統以外の抗菌薬に対する感受性は異なる。しかし、概してほとんどの抗菌薬が無効であり、わずかにコリスチンやティゲサイクリンが有効であるケースが少なくない。
しかし両者は日本で薬剤として承認・販売されておらず、使用するには個人輸入するしかない。とはいえ、一刻を争う抗菌薬治療において、個人輸入の手続きを取っている時間はなく、この選択肢はないに等しい。ドラッグラグの弊害がこのようなところにも現れている。
4)厳格な院内感染対策が必要
上記のように、重症集中治療中の患者や免疫低下状態にある患者において、生死の境目で必死にこらえている状態に対して最後の一押しになりかねない感染症がMDRABによる感染症である。従って、これらの患者に対してMDRABを付けない、運ばない対策が必要である。
検体検査においてMDRABが検出された患者がいた場合、厳格な接触予防策を講じて他の患者への伝播を可及的に防ぐことが必須である。感染予防策は当該患者の診療にかかわるすべての職種が実施しなければならず、当該患者からMDRABが分離されていることが情報共有されなければならない。
5)さらに厳格な対策が必要になる場合もある
MDRABは乾燥した環境中で数ヶ月にわたって生存することができる。昨年の福岡大学病院における集団伝播事例では、環境調査によって患者の療養環境の様々な部位(オーバーテーブル、ベッド柵など)からMDRABが分離されている。このような状況では、通常の院内清掃(高頻度接触局面を清拭する)程度ではMDRABを除去することができず、いつまでたっても伝播が終息しないことが懸念される。
6)感染制御部の主体的リードが不可欠
帝京大学の事例の詳細はこれから明らかになるであろう。筆者が収集しえた情報によれば、上記4)の部分において、MDRABが当該患者から検出されていることに関する情報共有が不十分だったと考えられる。大学病院においては一般に感染制御部がその任を負っており、検体分離菌情報を検査室から速やかに入手し、現場に赴き必要な感染対策を指示し、その後もその遵守状況を監視し、スタッフの疑問に答えるなどのフォローをする。これらの体制が不十分だったことは間違いない。
7)必要に応じて他施設や行政の支援を仰ぐ
どの医療機関も決して十分とは言えない人的物的資源で医療を行い、国民の健康を支えている。帝京大学の事例では、数カ所の病棟でMDRABが検出され、伝播が止まらず、感染制御部の情報収集や対策実施に限界が来ていたことは間違いない。その時点、具体的には4月に10例程度の症例が同定された時点で、他施設や行政の支援を仰ぐべきであったと考える。
昨年の福岡大学の事例でも、様々な対策を取ったにもかかわらず伝播が終息しないことを受け、地域の保健所や九州厚生局、筆者および筆者が当時所属した国立感染症研究所に相談があり、病院とこれらの機関が一体となって調査や対応を行い、アウトブレイクは終息した。
アメリカでもMDRAB の集団発生事例に対してはCDCの疫学チームが何度か調査に入っている。院内感染対策の専門家も医療機関のマンパワーも日本よりはるかに多く、CDCで訓練を受けた疫学の専門家が州の保健衛生部局に常駐する国ですら、CDCが調査に乗り出している。それくらいMDRABの集団発生は御しがたい。支援を仰ぐことは何ら恥ずべきことではない。
8)警察の捜査は有害無益
本事例に今最も必要なのは、集団発生の疫学調査と、これ以上の保菌伝播を防ぐための現場の院内感染対策の実施である。警察による捜査が何を意図しているかわからないが、捜査により医療従事者が余計な時間をとられ、医療に従事する時間を削減されるのは百害あって一利なしである。
ところが、報道によれば都内の他の病院でもMDRABが複数検出された事例が明らかになり、そこに警察が捜査に入っているとのこと。警察の捜査は、医療者が故意に患者に不利益をもたらす医療行為を行っている場合に限定されるべきである。
当局の謙抑的姿勢を求めるものであり、行き過ぎれば警察権力と医療の対立という構図になりかねない。アメリカでは南部のある州で産科医療においてあまりに訴訟が頻発したため、弁護士と医療が対立する構図となり、産科医が弁護士およびその配偶者の出産を一切取り扱わないという事態に発展したことがある。このような不毛な争いは誰の利益にもならない。
-----(引用、終わり)-----
帝京大学病院の院内感染対策は「情報共有」について不十分であった。
どの医療機関も決して十分とは言えない人的物的資源で医療を行い、国民の健康を支えている。それ故、必要に応じて他施設や行政の支援を仰ぐべきである。
帝京大学病院の院内感染事件においては、「具体的には4月に10例程度の症例が同定された時点で、他施設や行政の支援を仰ぐべきであった」。
以上が専門家の主張。
ここに警察が介入する余地はないし、余地がないどころか逆に警察の捜査は有害無益である。捜査により医療従事者が余計な時間をとられ、医療に従事する時間を削減されるのは百害あって一利なしである。
国、マスコミ、大衆が、医療機関に理不尽な要求をして来る以上は、医療機関は自分にできることを粛々とやるしかない。
それが、「自粛」なんでしょう。
救急自粛、診療自粛、入院自粛、、、
MRICからそれぞれの立場からの発言がメールで送られてきています。
先の「帝京大学病院におけるアウトブレイクの報道に思うこと」の森澤先生のは、私の他でもブログで取り上げているところがあるようです。
今回は、2つ、小松先生のと森兼先生のメッセージを転載しておきます。
まず小松先生のから。
-----(ここから引用)-----
「国民を元気にする政治」とは?
小松秀樹
2010年9月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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またぞろ、行政-マスメディア連合による犯人探しとバッシングが始まった。
9月6日付のasahi.comによると、帝京大学病院の院内感染問題で、長妻厚生労働相は「重大な院内感染が発生したらルールにのっとって報告することが必要。きちんと機能しているのかどうか検証が必要だ」と話したという。9月6日の午後には立ち入り調査が行われた。警察による業務上過失致死傷を視野に入れた事情聴取も始まった。
報告しなかったことが被害を拡大させたとする報道もあるが、報告することで被害が防げるわけではない。報告は、法律ではなく通知により求められているもので、厚労省からのお願いレベルのものだという。
加罰的扱いをするには、立法が必要である。そうでなければ、行政の暴走が防げず、三権分立の意味がない。
現実問題として、報告しても対策の財政的支援が得られるわけではなく、状況によっては不利益を伴う処分さえ下されかねない。厚労省は、無理を押し付けるということにおいて、医療現場から悪代官のような存在とみなされている。
そもそも、報告をためらわせるような厚労省の姿勢に問題がある。厚労省の今後の対応によっては、さらに情報が集まりにくくなりかねない。
報道によると、帝京大学病院の感染対策に問題があったとされる。しかし、安全対策には人的・物的資源が必要である。
感染防止対策に不十分ながらも、診療報酬がついたのは、問題発生以後の、2010年4月からである。出来高払いでは、一人の患者が一回入院すると1000円が支払われる(DPCでもほぼ同額になる)。亀田総合病院で年間2000万円程度になる。しかし、感染対策室には、専従職員が3名、検査室との兼任の感染症の専門医が1名、他に感染症科の医師が5名常時活動している。大病院でも、4月以前に十分な対応できていたところは少ない。
多くの病院で、対応の努力を始めた段階にあると考えるべきである。実際、診療報酬はぎりぎりに抑制され、多くの病院が赤字に苦しんでいる。報酬が発生しないところに費用をかける余裕がない。これに加えて、感染対策を専門とする医師、看護師は少なく、すべての病院が厚労省の求める人材を確保できる状況にはない。
検査体制を整えている病院で、多剤耐性菌による院内感染を経験していない病院はない。常に対応をし続けているといってよい。
多くは弱毒性で、健常人には病原性がないが、化学療法を受けている進行がん患者や、大手術を受けた患者など、免疫力が低下している患者ではときに致命的になる。
世界の専門家から様々な認識や対応が発表されている。人的、財政的制限があるので、あらゆる対応がとれるわけではない。院内感染は、医療側の対応と新たな問題の発生で、時々刻々、その様相を変えている。
院内感染の撲滅が当面不可能であること、人間の生命が有限であること、医療が不完全であることを前提に、冷静に実情を認識すべきである。不可能なことを規範化すると、士気の低下を招き、医療現場が荒廃する。
問題になった多剤耐性アシネトバクター・バウマニは乾燥に強く、栄養要求性が低いという。このため、近年、院内感染の主役だったMRSAと異なり、環境に広く分布し、死滅しにくい。手洗い中心だったこれまでの対応で制御しきれないこともあろう。
厚労省は、規範との整合性ではなく、社会にもたらす結果を基準に、すなわち、今後の耐性菌による被害を最小限にするのに有用かどうかを基準に、対応すべきである。
具体的には、現場の心理的障壁を小さくして情報を集めやすくすること、集まった情報をすべて開示すること、現場の対策を支援することである。
厚労省が、さまざまな背景を持つ現場に、罰則による威嚇を伴った一律の指令を出すことは、院内感染対策には有害無益である。対応するのは厚労省ではなく、多様な背景を持つ現場である。厚労省はその援助しかできない。
行政は法による統治機構であり、原理的に医療を上手に扱えない。物事がうまくいかないとき、自ら学習せずに、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとする。原理主義的で適応性に乏しい。これに対し、医学・医療では、物事がうまくいかないとき、自ら学習し、知識・技術を進歩させる。実情の認識を基本とするので、無理な規範を振り回すことがなく、適応性に富む。
CDC(アメリカ疾病予防管理センター)では、刻々と変化する医療の状況に科学で対応するために、行政官ではなく、医師が主導権をもっている。
逆に、日本の厚労省は、自らの責任回避のために、現場を細かく縛る無理な規範を設定して常に現場を違反状態におく。問題が浮上してくると、現場に責任を押し付ける。新型インフルエンザ騒動では、水際作戦に代表されるように、無理な規範を掲げて、実質的に強制力を伴う事務連絡を連発し、無残な失敗を重ねた。
報道機関から漏れ聞くところでは、厚労省が加罰的対応をしているのは、帝京大学での沖永家による支配体制が気に入らないからだという。ガバナンスに問題があるのなら、院内感染と切り離して、ガバナンスに問題があることを真正面からとりあげるべきではないか。別件逮捕のようなことをすると、院内感染対策が歪む。
古い体験を話す。35年前、東京大学泌尿器科学教室では細菌培養を中央検査室ではなく、教室の研究室で実施していた。そのデータは病院全体の感染管理に還元されていたわけではない。大学は各科の独立性が強く、病院全体のガバナンスはほとんどなかった。
病院のガバナンスは、比較的最近、輸入された考え方である。しかも、望ましい医療機関のガバナンス像は常に変化している。例えば、国際的な病院評価機関であるJCIはガバナンスも評価しているが、数年ごとに基準を変更している。医療機関のガバナンスの実態も常に変化している。しかも実際の医療機関は極めて多様である。望ましい定常状態を想定してそれを押し付けること自体無理がある。
全国の大学病院のガバナンスの実態はどうなのか。その中で、とくに帝京大学が劣っていたのか。多少なりとも問題のない病院はあり得ない。ガバナンスのありようを外部から強権で変えること自体、ガバナンスを傷つける。厚労省からの天下り役人が帝京大学を支配するようなことがあれば、かえって弊害が出かねない。
実際、厚労省の天下り役人が支配してきた骨髄移植財団では、天下り役人がセクハラ、パワハラを繰り返し、大量の退職者が出た。財団は、セクハラ、パワハラに抗議した部長を解雇したが、不当解雇だとして訴えられ、敗訴した。
良いガバナンスとは、制御の利いた合理的な自律である。内部に真摯な動きがないと、いくら外部から叩いても、改革は成功しない。具体名はあげないが、複数の大学の例が実証しているように思える。
そもそも、帝京大学のガバナンスが悪かったから耐性菌の問題が明らかになったのか、改善されたから明らかになったのか。漏れ聞くところでは、事件後4月に新院長に就任した森田茂穂氏の英断で、外部調査委員会が開かれ、すべてが開示された。望ましい自律の動きが始まった可能性がある。
菅直人総理大臣は国民を元気にする政治を唱えている。私は、菅総理の考え方に大賛成である。
フランスの政治哲学者であるトクビルは、政治的中央集権を評価するが、行政的中央集権を嫌う。『アメリカの民主政治』の中で、菅総理と似た考えを提示している。
トクビルの意見を要約すると、以下のようになる。
「国家が、国民生活の些細な部分まで支配すると、有能で活発な人間が、人々や社会に影響を与えられなくなる。国家は、人々を国家に頼らせ、自立できないようにしてしまう。国民は、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる。国民は、あらゆることを国家に頼るようになって、元気がなくなる。国家が衰えると、自力で生きられない元気のない国民は滅びる。」
行政権力は、日々更新されている医学的合理性と大量の情報を活用するための行動原理と能力を有していない。従来、行政権力が無理な規範で医療を統制することを、自民党が支えてきた。
日本医師会は行政権力の下請けになっていた。これに、日本の医師の多くが反発し、2009年の総選挙で、民主党に投票した。選挙前の何年かの医療をめぐる議論が、政治の大きな流れを変える一因になった。
医師たちは、政務三役に、行政権力の制御を期待した。長妻大臣の対応は、旧来の自民党と同じであり、日本人の元気を奪うものである。失望を禁じ得ない。
-----(引用、終わり)-----
安全対策には人的・物的資源が必要である。
厚労相は、多様な背景を持つ現場の、それぞれの現場の対策を、人的、物的、資金的に支援することである。
罰則による威嚇を伴った一律の指令を出すことは、院内感染対策には有害無益である。
そして、トンチンカンな報道、主張しかできないマスコミなど、存在自体が有害無益、少なくとも感染症対策には。
特に、産経のこの社説などその典型と言える。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100907/bdy1009070244001-n1.htm
誰か、あるいはどこかに悪い奴がいるはずだから、そいつを罰しろというだけの、感染症対策には無益どころか有害でさえある主張、この新聞社の無能さがよく現れている社説であります。無能であるが故に、事実を正確に把握できず、その結果として有益な主張ができないものだから、誰か他人、自分以外の他人を悪者にして罵ることで、さも何かを主張しているつもりになっている。
この新聞社、医療関係以外も同様なのかもしれない。いや、その可能性が高いと思う。
次に森兼先生のメッセージ。
-----(ここから引用)-----
多剤耐性アシネトバクター集団検出事例を受けて
森兼啓太
山形大学医学部附属病院 検査部
2010年9月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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問題点はすでに森澤・大磯・木村の諸氏(Vol 279,281,283)により詳細に記述されているが、国のデータや先行事例も含めて解説させて頂く。
1)多剤耐性アシネトバクターはどの医療機関でも検出されうる
厚労省事業であるJANIS(院内感染対策サーベイランス)では、全国の医療機関の臨床検査室から収集された細菌に関するデータを分析している。それによれば、2007年7月~2009年12月までの2年半で、アシネトバクターは全菌株の2.2%(3,218,820株中71,657株)を占めている。
すなわち、医療機関における臨床検査によって普通に検出される菌である。そのうち多剤耐性(カルバペネム、アミノグリコシド、フルオロキノロンの3系統の抗菌薬すべてに耐性を示すものと定義)は98株、0.14%であった。つまり、アシネトバクター700株中1株程度が多剤耐性を示すという結果であり、比較的まれとも言えるが、逆に言えば臨床のための検体検査を積極的に実施している医療機関では1株や2株はどこでも検出しうる。
2)多剤耐性アシネトバクターは感染力が弱い
健康人においては、大量のアシネトバクターを静脈内注射でもしない限り、感染症を発症することはない。多剤耐性アシネトバクター(以下、MDRABと略す)であってもそれは同じことである。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が健常人において皮膚感染症などを起こすのと対照的である。
また、重症集中治療中の患者や免疫低下状態にある患者であっても、最初に感染症を発症させる細菌ではなく、その他の細菌による感染症がたいてい先立つ。それらに対して有効な抗菌薬が投与され、それらの菌が追いやられた後にやってくるのがアシネトバクターだと考えればわかりやすい。
3)MDRABに対する治療薬が非常に限定されている
一口に「多剤耐性」と言っても、耐性の定義のもとになる3系統以外の抗菌薬に対する感受性は異なる。しかし、概してほとんどの抗菌薬が無効であり、わずかにコリスチンやティゲサイクリンが有効であるケースが少なくない。
しかし両者は日本で薬剤として承認・販売されておらず、使用するには個人輸入するしかない。とはいえ、一刻を争う抗菌薬治療において、個人輸入の手続きを取っている時間はなく、この選択肢はないに等しい。ドラッグラグの弊害がこのようなところにも現れている。
4)厳格な院内感染対策が必要
上記のように、重症集中治療中の患者や免疫低下状態にある患者において、生死の境目で必死にこらえている状態に対して最後の一押しになりかねない感染症がMDRABによる感染症である。従って、これらの患者に対してMDRABを付けない、運ばない対策が必要である。
検体検査においてMDRABが検出された患者がいた場合、厳格な接触予防策を講じて他の患者への伝播を可及的に防ぐことが必須である。感染予防策は当該患者の診療にかかわるすべての職種が実施しなければならず、当該患者からMDRABが分離されていることが情報共有されなければならない。
5)さらに厳格な対策が必要になる場合もある
MDRABは乾燥した環境中で数ヶ月にわたって生存することができる。昨年の福岡大学病院における集団伝播事例では、環境調査によって患者の療養環境の様々な部位(オーバーテーブル、ベッド柵など)からMDRABが分離されている。このような状況では、通常の院内清掃(高頻度接触局面を清拭する)程度ではMDRABを除去することができず、いつまでたっても伝播が終息しないことが懸念される。
6)感染制御部の主体的リードが不可欠
帝京大学の事例の詳細はこれから明らかになるであろう。筆者が収集しえた情報によれば、上記4)の部分において、MDRABが当該患者から検出されていることに関する情報共有が不十分だったと考えられる。大学病院においては一般に感染制御部がその任を負っており、検体分離菌情報を検査室から速やかに入手し、現場に赴き必要な感染対策を指示し、その後もその遵守状況を監視し、スタッフの疑問に答えるなどのフォローをする。これらの体制が不十分だったことは間違いない。
7)必要に応じて他施設や行政の支援を仰ぐ
どの医療機関も決して十分とは言えない人的物的資源で医療を行い、国民の健康を支えている。帝京大学の事例では、数カ所の病棟でMDRABが検出され、伝播が止まらず、感染制御部の情報収集や対策実施に限界が来ていたことは間違いない。その時点、具体的には4月に10例程度の症例が同定された時点で、他施設や行政の支援を仰ぐべきであったと考える。
昨年の福岡大学の事例でも、様々な対策を取ったにもかかわらず伝播が終息しないことを受け、地域の保健所や九州厚生局、筆者および筆者が当時所属した国立感染症研究所に相談があり、病院とこれらの機関が一体となって調査や対応を行い、アウトブレイクは終息した。
アメリカでもMDRAB の集団発生事例に対してはCDCの疫学チームが何度か調査に入っている。院内感染対策の専門家も医療機関のマンパワーも日本よりはるかに多く、CDCで訓練を受けた疫学の専門家が州の保健衛生部局に常駐する国ですら、CDCが調査に乗り出している。それくらいMDRABの集団発生は御しがたい。支援を仰ぐことは何ら恥ずべきことではない。
8)警察の捜査は有害無益
本事例に今最も必要なのは、集団発生の疫学調査と、これ以上の保菌伝播を防ぐための現場の院内感染対策の実施である。警察による捜査が何を意図しているかわからないが、捜査により医療従事者が余計な時間をとられ、医療に従事する時間を削減されるのは百害あって一利なしである。
ところが、報道によれば都内の他の病院でもMDRABが複数検出された事例が明らかになり、そこに警察が捜査に入っているとのこと。警察の捜査は、医療者が故意に患者に不利益をもたらす医療行為を行っている場合に限定されるべきである。
当局の謙抑的姿勢を求めるものであり、行き過ぎれば警察権力と医療の対立という構図になりかねない。アメリカでは南部のある州で産科医療においてあまりに訴訟が頻発したため、弁護士と医療が対立する構図となり、産科医が弁護士およびその配偶者の出産を一切取り扱わないという事態に発展したことがある。このような不毛な争いは誰の利益にもならない。
-----(引用、終わり)-----
帝京大学病院の院内感染対策は「情報共有」について不十分であった。
どの医療機関も決して十分とは言えない人的物的資源で医療を行い、国民の健康を支えている。それ故、必要に応じて他施設や行政の支援を仰ぐべきである。
帝京大学病院の院内感染事件においては、「具体的には4月に10例程度の症例が同定された時点で、他施設や行政の支援を仰ぐべきであった」。
以上が専門家の主張。
ここに警察が介入する余地はないし、余地がないどころか逆に警察の捜査は有害無益である。捜査により医療従事者が余計な時間をとられ、医療に従事する時間を削減されるのは百害あって一利なしである。
2010年09月06日
また同じ過ちを繰り返そうとしている>帝京大学病院院内感染事件
同じ過ちを繰り返そうとしていると私が言っている相手は帝京大学病院ではなく、マスコミや警察に対してです。
マスコミは、さも帝京大学病院が重大な医療事故(これは事故ではないのに)を隠蔽したかのように大げさに書き立てているし、警察は警察で業務上過失致死傷罪を持ち出して横やりを入れようとしている。厚労省は、どうも保身に走っているようにも見える。通達を出して、責任を病院に押しつけるという官僚がよく使ういつもの手を使って。
MRICから、この事件についてよくまとまったメッセージが送られてきたので紹介します。
(強調は私が行ったものです)
-----(ここから引用)-----
帝京大学病院におけるアウトブレイクの報道に思うこと
自治医科大学附属病院・感染制御部長、感染症科科長
森澤雄司
2010年9月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
多剤耐性アシネトバクター・バウマニによる病院内アウトブレイクが報道されています。私にはマスメディア報道を越える情報はありませんが、業務上過失致死の疑いで警視庁が動いていることを聞き及び、わが国の医療に禍根を残さないためにも、一方的な処罰感情のみに流されない議論がなされるべきであると考えて筆をとることとしました。
医療技術の進歩や管理基準の向上、医療従事者の熱意と誠意に関らず、病院それ自体は感染症の温床であり、医療関連感染防止はすべての医療従事者にとってつねに最重要の課題の一つであり続けています。医療行為には必ず内在する感染リスクがあり、血管内留置カテーテル関連血流感染症や外科手術部位感染症などは、語弊を恐れずに言えば ”起こるべくして起こる” 合併症を医療従事者の不断の努力によって防止しているのです。日常的なケアのどこかに些細な破綻があっただけでも重大な結果をもたらしてしまうのです。また、病院という限定された空間に多数の患者が抗菌薬を投与されている状況は、抗菌薬耐性菌を集約することとなり、一般的にまれな高度耐性菌が病院においては日常的に跋扈することとなっています。高齢化社会に伴う患者数の増加、医療の高度先進化の一方で、医療費削減を求める現状においては病院における経費削減が経営上の必要課題となっていますから、医療の現場はますます少ないスタッフ数や予算でより多くの業務を負担しなければならず、患者と医療従事者のいずれにとっても安全が脅かされていると考えなければなりません。医療安全は広く国民の間で議論されなければならない重大事であります。
今回の問題となっている多剤耐性アシネトバクター・バウマニは医療関連感染防止にとって重大な脅威です。高度耐性菌としては MRSA や多剤耐性緑膿菌が有名ですが、これらの細菌と比較しても多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は極めて困難であることが知られています。一般的に MRSA 対策は医療従事者の手指衛生と適切な個人防護具(手袋・ガウン・マスクなど)使用の徹底により対応することが出来ます。一方、緑膿菌やアシネトバクター・バウマニは栄養要求性が低く、さまざまな環境で生き延びることが可能であるために環境対策も必要となります。緑膿菌は乾燥に弱く、いわゆる水周りを押さえれば対策できるのに対して、アシネトバクター・バウマニは乾燥に強く、カーテンや診療端末のキーボードやマウスのような通常の環境表面でも数週間以上にわたり生存します。多剤耐性アシネトバクター・バウマニ対策には膨大な環境調査が必要であり、しかも細菌はスタッフや患者の手指などを介して環境を移動しますから、一度の環境調査だけですべてが明らかになるとは限りません。海外からは医療従事者が使用する PHS を介してアウトブレイクが認められたという報告もあり、多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は困難を極めます。そしてアシネトバクター・バウマニは抗菌薬耐性を獲得する能力にも優れており、耐性化したアシネトバクター・バウマニの中には多剤耐性緑膿菌と同じく現時点でわが国に使用可能なすべての抗菌薬へ耐性を示す場合があることが知られています。すなわち、高度耐性アシネトバクター・バウマニが感染症の起因菌となった場合、わが国では治療できないのです。幸いなことに緑膿菌やアシネトバクター・バウマニは必ず感染症を起こすわけではなく、単に保菌状態で過ぎる場合が多いのですが、侵襲的な医療処置が行われている患者では先述したような医療関連感染症を生じることがあり、病院内では重大なリスクとして対応する必要があります。
厚生労働省でも多剤耐性アシネトバクター・バウマニの重大性を考慮して、昨年 2009 年 1 月には都道府県に対して病院内における発生を報告するように求めた通知が出されています。しかし、これは法的義務ではなく、少なくとも医療の現場に対して明確な通達であったとは言い難いと判断しています。一部の報道では今回の帝京大学病院における事例について、保健所へ報告されていなかったことが最大の問題点であるかのように取り上げられていますが、厚生労働省からの通知は都道府県への “「お願い」ベース” であり、法的な義務ではなかったはずです。また、一般的に考えると、公衆衛生行政の介入で今回のような医療関連感染アウトブレイクが制圧できるとは考えにくく、もしも行政側の担当者が保身に走って一方的な “病棟閉鎖命令” などの過剰な対策を安易に乱発するようなことにでもなれば、医療現場の混乱は必至です。病棟を閉鎖してしまうと、その期間、患者は受け皿を失って、適切な医療が提供されないこととなります。高い見識と専門性を有する専門家によるリスク・アセスメントに基いた方針決定こそが必要です。わが国では日本看護協会が認定する感染管理認定看護師が 1,000 名以上に及んでおり、豊富な臨床経験と高い専門性に裏打ちされた現場での活躍が期待されますが、残念ながら多くの施設では十分な権限を与えられていません。”素人” による場当たり的かつ責任回避的な対策ではなく、現場に根付いたプロの判断が優先されることを願って止みません。
さて、これも一部の報道による情報でしかありませんが、今回の事例について警視庁が業務上過失致死の疑いで動くのではないかとされています。私たち医療従事者はつねに医療関連感染症の予防と制圧を心掛けており、理念として “ゼロ・トレランス” 、1 例の医療関連感染症も容認しない態度で理想を目指すべきであると考えています。しかし、実際には医療関連感染症を完全に根絶することは現時点で不可能です。故意による事例であればともかく、医療の結果が望ましくなかったという理由で警察が介入するような事態になれば、医療現場は必要以上に防護的となり、積極的な侵襲的医療処置行為を妨げる結果ともなりかねません。リスクの高い重症例や耐性菌の保菌患者は受け入れ先を失うかもしれません。処罰的な態度で “医療事故” に臨むことが国民の利益になるとは考えられず、むしろ結果的に“医療崩壊” を一層に進めてしまう可能性すらあります。私たちは第 2 の「大野病院事件」を許してはならないのです。
以上、私の個人的な意見を記述しました。所属機関、所属学会を代表した意見ではないことを念のため書き加えておきます。患者さんが亡くなられたことはもちろん重大であり、真摯に受け止めるべきことでありますが、現実の医療はすべての患者さんを救命できるものではありません。この機会に医療従事者と国民が互いの立場を理解し合って、よりよい医療現場を実現するための議論が進むことを望みつつ擱筆します。
森澤雄司
自治医科大学附属病院・感染制御部長、感染症科(兼任)科長
自治医科大学・感染免疫学准教授
栃木地域感染制御コンソーティアム TRIC'K' 代表世話人
日本環境感染学会・理事、評議員、教育委員
-----(引用、終わり)-----
多剤耐性菌による院内感染は、特に重症患者を治療している病院では、その発生は必然なのであり、それが起こっていないのは医療従事者の不断の努力によって防止しているからである。
これは、主張とか主観の表明ではなく、現実の事実です。
多剤耐性菌として知られているMRSA、緑膿菌に比べ、多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は、その細菌の性質上、困難を極める。
これも、事実に属することであり、著者や私の主張や主観ではない。
厚労省は、例によってこの「多剤耐性アシネトバクター・バウマニ」の病院内発生を報告するよう「通知」を出しているが(これは事実、以下は私の主観)、これは「法的義務ではなく」、少なくとも医療の現場に対して明確な通達であったとは言い難い。こういう通知を出しておくことで、厚労相は何かをしたということだけを残しておいて、後で責任問題を追及された場合の逃げ道に使おうとしたのでしょう。官僚がよく使う手です。
そして、警察の介入が、さらに破壊的な影響を現場にもたらす。
警察のような素人集団が、司法権力を振りかざし、証拠を抱え込んでしまい、犯人捜しを始めたら、対策も何も立てようがなくなる。そういう証拠は、専門家が使うことで初めて価値を持つのです。警察は犯人捜しの専門集団であり、犯人捜しにその証拠は役立つでしょうが、こういう犯人のいない事件においては無意味です。逆に、医療対策のための真相が隠され、さらに「医療現場は必要以上に防護的」となってしまう。本来は必要な「積極的な侵襲的医療処置行為を妨げる」結果となるでしょう。
これは、第二の「大野病院事件」となってしまうかもしれない。
マスコミは、さも帝京大学病院が重大な医療事故(これは事故ではないのに)を隠蔽したかのように大げさに書き立てているし、警察は警察で業務上過失致死傷罪を持ち出して横やりを入れようとしている。厚労省は、どうも保身に走っているようにも見える。通達を出して、責任を病院に押しつけるという官僚がよく使ういつもの手を使って。
MRICから、この事件についてよくまとまったメッセージが送られてきたので紹介します。
(強調は私が行ったものです)
-----(ここから引用)-----
帝京大学病院におけるアウトブレイクの報道に思うこと
自治医科大学附属病院・感染制御部長、感染症科科長
森澤雄司
2010年9月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
多剤耐性アシネトバクター・バウマニによる病院内アウトブレイクが報道されています。私にはマスメディア報道を越える情報はありませんが、業務上過失致死の疑いで警視庁が動いていることを聞き及び、わが国の医療に禍根を残さないためにも、一方的な処罰感情のみに流されない議論がなされるべきであると考えて筆をとることとしました。
医療技術の進歩や管理基準の向上、医療従事者の熱意と誠意に関らず、病院それ自体は感染症の温床であり、医療関連感染防止はすべての医療従事者にとってつねに最重要の課題の一つであり続けています。医療行為には必ず内在する感染リスクがあり、血管内留置カテーテル関連血流感染症や外科手術部位感染症などは、語弊を恐れずに言えば ”起こるべくして起こる” 合併症を医療従事者の不断の努力によって防止しているのです。日常的なケアのどこかに些細な破綻があっただけでも重大な結果をもたらしてしまうのです。また、病院という限定された空間に多数の患者が抗菌薬を投与されている状況は、抗菌薬耐性菌を集約することとなり、一般的にまれな高度耐性菌が病院においては日常的に跋扈することとなっています。高齢化社会に伴う患者数の増加、医療の高度先進化の一方で、医療費削減を求める現状においては病院における経費削減が経営上の必要課題となっていますから、医療の現場はますます少ないスタッフ数や予算でより多くの業務を負担しなければならず、患者と医療従事者のいずれにとっても安全が脅かされていると考えなければなりません。医療安全は広く国民の間で議論されなければならない重大事であります。
今回の問題となっている多剤耐性アシネトバクター・バウマニは医療関連感染防止にとって重大な脅威です。高度耐性菌としては MRSA や多剤耐性緑膿菌が有名ですが、これらの細菌と比較しても多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は極めて困難であることが知られています。一般的に MRSA 対策は医療従事者の手指衛生と適切な個人防護具(手袋・ガウン・マスクなど)使用の徹底により対応することが出来ます。一方、緑膿菌やアシネトバクター・バウマニは栄養要求性が低く、さまざまな環境で生き延びることが可能であるために環境対策も必要となります。緑膿菌は乾燥に弱く、いわゆる水周りを押さえれば対策できるのに対して、アシネトバクター・バウマニは乾燥に強く、カーテンや診療端末のキーボードやマウスのような通常の環境表面でも数週間以上にわたり生存します。多剤耐性アシネトバクター・バウマニ対策には膨大な環境調査が必要であり、しかも細菌はスタッフや患者の手指などを介して環境を移動しますから、一度の環境調査だけですべてが明らかになるとは限りません。海外からは医療従事者が使用する PHS を介してアウトブレイクが認められたという報告もあり、多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は困難を極めます。そしてアシネトバクター・バウマニは抗菌薬耐性を獲得する能力にも優れており、耐性化したアシネトバクター・バウマニの中には多剤耐性緑膿菌と同じく現時点でわが国に使用可能なすべての抗菌薬へ耐性を示す場合があることが知られています。すなわち、高度耐性アシネトバクター・バウマニが感染症の起因菌となった場合、わが国では治療できないのです。幸いなことに緑膿菌やアシネトバクター・バウマニは必ず感染症を起こすわけではなく、単に保菌状態で過ぎる場合が多いのですが、侵襲的な医療処置が行われている患者では先述したような医療関連感染症を生じることがあり、病院内では重大なリスクとして対応する必要があります。
厚生労働省でも多剤耐性アシネトバクター・バウマニの重大性を考慮して、昨年 2009 年 1 月には都道府県に対して病院内における発生を報告するように求めた通知が出されています。しかし、これは法的義務ではなく、少なくとも医療の現場に対して明確な通達であったとは言い難いと判断しています。一部の報道では今回の帝京大学病院における事例について、保健所へ報告されていなかったことが最大の問題点であるかのように取り上げられていますが、厚生労働省からの通知は都道府県への “「お願い」ベース” であり、法的な義務ではなかったはずです。また、一般的に考えると、公衆衛生行政の介入で今回のような医療関連感染アウトブレイクが制圧できるとは考えにくく、もしも行政側の担当者が保身に走って一方的な “病棟閉鎖命令” などの過剰な対策を安易に乱発するようなことにでもなれば、医療現場の混乱は必至です。病棟を閉鎖してしまうと、その期間、患者は受け皿を失って、適切な医療が提供されないこととなります。高い見識と専門性を有する専門家によるリスク・アセスメントに基いた方針決定こそが必要です。わが国では日本看護協会が認定する感染管理認定看護師が 1,000 名以上に及んでおり、豊富な臨床経験と高い専門性に裏打ちされた現場での活躍が期待されますが、残念ながら多くの施設では十分な権限を与えられていません。”素人” による場当たり的かつ責任回避的な対策ではなく、現場に根付いたプロの判断が優先されることを願って止みません。
さて、これも一部の報道による情報でしかありませんが、今回の事例について警視庁が業務上過失致死の疑いで動くのではないかとされています。私たち医療従事者はつねに医療関連感染症の予防と制圧を心掛けており、理念として “ゼロ・トレランス” 、1 例の医療関連感染症も容認しない態度で理想を目指すべきであると考えています。しかし、実際には医療関連感染症を完全に根絶することは現時点で不可能です。故意による事例であればともかく、医療の結果が望ましくなかったという理由で警察が介入するような事態になれば、医療現場は必要以上に防護的となり、積極的な侵襲的医療処置行為を妨げる結果ともなりかねません。リスクの高い重症例や耐性菌の保菌患者は受け入れ先を失うかもしれません。処罰的な態度で “医療事故” に臨むことが国民の利益になるとは考えられず、むしろ結果的に“医療崩壊” を一層に進めてしまう可能性すらあります。私たちは第 2 の「大野病院事件」を許してはならないのです。
以上、私の個人的な意見を記述しました。所属機関、所属学会を代表した意見ではないことを念のため書き加えておきます。患者さんが亡くなられたことはもちろん重大であり、真摯に受け止めるべきことでありますが、現実の医療はすべての患者さんを救命できるものではありません。この機会に医療従事者と国民が互いの立場を理解し合って、よりよい医療現場を実現するための議論が進むことを望みつつ擱筆します。
森澤雄司
自治医科大学附属病院・感染制御部長、感染症科(兼任)科長
自治医科大学・感染免疫学准教授
栃木地域感染制御コンソーティアム TRIC'K' 代表世話人
日本環境感染学会・理事、評議員、教育委員
-----(引用、終わり)-----
多剤耐性菌による院内感染は、特に重症患者を治療している病院では、その発生は必然なのであり、それが起こっていないのは医療従事者の不断の努力によって防止しているからである。
これは、主張とか主観の表明ではなく、現実の事実です。
多剤耐性菌として知られているMRSA、緑膿菌に比べ、多剤耐性アシネトバクター・バウマニへの対策は、その細菌の性質上、困難を極める。
これも、事実に属することであり、著者や私の主張や主観ではない。
厚労省は、例によってこの「多剤耐性アシネトバクター・バウマニ」の病院内発生を報告するよう「通知」を出しているが(これは事実、以下は私の主観)、これは「法的義務ではなく」、少なくとも医療の現場に対して明確な通達であったとは言い難い。こういう通知を出しておくことで、厚労相は何かをしたということだけを残しておいて、後で責任問題を追及された場合の逃げ道に使おうとしたのでしょう。官僚がよく使う手です。
そして、警察の介入が、さらに破壊的な影響を現場にもたらす。
警察のような素人集団が、司法権力を振りかざし、証拠を抱え込んでしまい、犯人捜しを始めたら、対策も何も立てようがなくなる。そういう証拠は、専門家が使うことで初めて価値を持つのです。警察は犯人捜しの専門集団であり、犯人捜しにその証拠は役立つでしょうが、こういう犯人のいない事件においては無意味です。逆に、医療対策のための真相が隠され、さらに「医療現場は必要以上に防護的」となってしまう。本来は必要な「積極的な侵襲的医療処置行為を妨げる」結果となるでしょう。
これは、第二の「大野病院事件」となってしまうかもしれない。