2012年01月26日

日本中を差別の火が覆っている

やっとブログを書く暇ができた。
書かねばならない、記録として残しておかねばならないとだいぶ前から(半年以上前から)思っていたテーマを書いておきます。
それは放射能差別のこと。

昨年3月11日に東北太平洋沖で大地震が起こり、大津波が来て、2万人からの死者行方不明者が出た。この国土に大きな爪痕を残した。
そして福島第一原子力発電所でレベル7の、世界でも2度目という大事故が起こった。周辺地域へ放射性物質が大量に拡散し、広い範囲で避難を余儀なくされている。
これから日本中の人手と資金、資材を投入して、復興と事故終息を計っていかないといけない。それも全力をあげて。
それをやり遂げる能力、資金、資材が日本にはあると私は確信しているのですが、残念でならないのは差別の火の広がりです。

広島や長崎原爆で被災した人達は、長らくその差別に晒されていたという。
しかし、それも昔の話で、この現代日本でそれが再現されるようなことは、まさかあり得ないだろうと思っていた。
ところがそうではなかった。

差別の火というのは、我々人間の業のようなものなのかもしれない。科学技術の進歩や教育の普及とかでその業を抑えておくようなことは不可能なのかもしれない。インターネットで誰でも簡単に情報を発信できるような現代では、逆にその差別の火が昔より、より速く、より広範囲に広がるようになってしまったということなのでしょう。

関東大震災の時に起こったという朝鮮人差別に起因する虐殺事件、さすがに今度の大地震、大津波での外国人差別というのは、たとえあったとしても小規模なものであっただろうとは推測できる(ニュースがないので分からない)。一方、被災者、被災地への差別、特に原発事故関連のものは今現在も日本中で起こっている(特に関東地域で多いような感じがする、被災地に近いというのもあるためか)。
ツイッター上で福島ナンバーの車への給油拒否があったとかいうのに始まり、放射能がうつる(感染する)とイジメをうけたとかいうのが流れてきて、そのうち被災地への「絆」を示すためにと企画された花火が、東北地方で生産されたのを使うと放射能がまき散らされるってんで中止になったりというニュースが出るにおよんで、これはいったいなんなのだ、日本は、日本人は狂ってきているのかと感じだした。これは明らかに差別ではないか、差別を大々的にするほどに、日本は、日本人は狂ってきているかと。

これを決定的に確信したのは、2011年8月の京都、五山の送り火騒動です。
被災マツ、大文字使わず 「放射能不安」で一転
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20110806000029
-----(ここから引用)-----
東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」のマツを京都に運び、五山送り火の「大文字」に使う計画が中止になったことが5日、分かった。マツの放射能汚染を懸念する声が京都市などに寄せられたためで、8日に陸前高田市で燃やす方針という。

 高田松原のマツを薪にして販売し、復興支援に充てる活動を知った大分市の美術家が6月、大文字保存会(京都市左京区)に打診し、7月中にも受け入れる準備を進めていた。マツは当初約200本用意され、現地の人たちが犠牲になった家族や友人の名前、復興への祈りを記していた。

 ところが、7月に入り、京都市文化財保護課や保存会にマツの放射能汚染を不安視する声が寄せられ、インターネットの掲示板などにも反対意見の書き込みが続いた。
-----(引用、終わり)-----

松の表皮にはごく少量の放射性物質が付着している、検出限界値を下げればたぶん日本全国の樹木の表皮や葉から検出できるでしょう。
問題はその量です。
放射性セシウムがキログラムあたり数十から数百ベクレル(Bq/Kg)程度、それも表皮だけで検出となれば文字通りたかがしれている(あの大気圏内原爆実験華やかなりし頃なら日本中でみられていたはず)。それでも嫌というのなら(これ自体がもう差別に直結していることですが)表皮を剥げばすむ。

その後、この手の拒否主張を関係者に送りつけて中止に追い込むというやり方が日本中で広がってきた。
例えば、、、
福島製橋桁、放射能不安の声で工事中断…大阪
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111006-OYT1T00814.htm
-----(ここから引用)-----
 大阪府が進めている架橋工事で、福島県郡山市内の建設会社が製造した橋桁に対し、周辺住民から放射能汚染への不安の声が上がり、工事が中断されていることがわかった。
 府によると、橋桁は大阪府河内長野市と和歌山県橋本市を結ぶ国道371号バイパス架橋工事に使われる予定で、郡山市の会社が製造と設置工事を約1億2500万円で受注した。長さ55メートル、幅8メートルの鋼製で、東日本大震災前の今年2月に完成。当初は9月に河内長野市に運ぶ予定だった。
-----(引用、終わり)-----

そして、今回の地震、津波のための多量にできた被災地の瓦礫、これを現地だけでは処分できない、復興には日本全国でこの瓦礫を受け入れて焼却などの処分をしないといけないのが、ほとんど受け入れていない。受け入れようとしても嫌がらせメールや電話が来るのだそうな。
福島県産の農産物、生産しても売れない。さらには、福島の農家を殺人者呼ばわりする群馬大学の教授さえいる始末。

差別の火が日本中を覆っている。
そのシンボルとして送り火の大の字が適当と私は思う。
画像

大文字の大は差別の火。
ラベル:事件 生活 独り言
posted by machiisha at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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