マスコミが大騒ぎ、それも無知でただただセンセーションを煽るだけの無内容な報道をする、それにつられて大衆が右往左往、中には正義感面してトンチンカンな義憤をブログなどで書いている者もいる。厚労省は例によって通達行政と、形ばかりの監査を行って責任回避をやっている(監督官庁がやることは、現場の応援であって、手足を縛ることではないのに)。
国、マスコミ、大衆が、医療機関に理不尽な要求をして来る以上は、医療機関は自分にできることを粛々とやるしかない。
それが、「自粛」なんでしょう。
救急自粛、診療自粛、入院自粛、、、
MRICからそれぞれの立場からの発言がメールで送られてきています。
先の「帝京大学病院におけるアウトブレイクの報道に思うこと」の森澤先生のは、私の他でもブログで取り上げているところがあるようです。
今回は、2つ、小松先生のと森兼先生のメッセージを転載しておきます。
まず小松先生のから。
-----(ここから引用)-----
「国民を元気にする政治」とは?
小松秀樹
2010年9月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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またぞろ、行政-マスメディア連合による犯人探しとバッシングが始まった。
9月6日付のasahi.comによると、帝京大学病院の院内感染問題で、長妻厚生労働相は「重大な院内感染が発生したらルールにのっとって報告することが必要。きちんと機能しているのかどうか検証が必要だ」と話したという。9月6日の午後には立ち入り調査が行われた。警察による業務上過失致死傷を視野に入れた事情聴取も始まった。
報告しなかったことが被害を拡大させたとする報道もあるが、報告することで被害が防げるわけではない。報告は、法律ではなく通知により求められているもので、厚労省からのお願いレベルのものだという。
加罰的扱いをするには、立法が必要である。そうでなければ、行政の暴走が防げず、三権分立の意味がない。
現実問題として、報告しても対策の財政的支援が得られるわけではなく、状況によっては不利益を伴う処分さえ下されかねない。厚労省は、無理を押し付けるということにおいて、医療現場から悪代官のような存在とみなされている。
そもそも、報告をためらわせるような厚労省の姿勢に問題がある。厚労省の今後の対応によっては、さらに情報が集まりにくくなりかねない。
報道によると、帝京大学病院の感染対策に問題があったとされる。しかし、安全対策には人的・物的資源が必要である。
感染防止対策に不十分ながらも、診療報酬がついたのは、問題発生以後の、2010年4月からである。出来高払いでは、一人の患者が一回入院すると1000円が支払われる(DPCでもほぼ同額になる)。亀田総合病院で年間2000万円程度になる。しかし、感染対策室には、専従職員が3名、検査室との兼任の感染症の専門医が1名、他に感染症科の医師が5名常時活動している。大病院でも、4月以前に十分な対応できていたところは少ない。
多くの病院で、対応の努力を始めた段階にあると考えるべきである。実際、診療報酬はぎりぎりに抑制され、多くの病院が赤字に苦しんでいる。報酬が発生しないところに費用をかける余裕がない。これに加えて、感染対策を専門とする医師、看護師は少なく、すべての病院が厚労省の求める人材を確保できる状況にはない。
検査体制を整えている病院で、多剤耐性菌による院内感染を経験していない病院はない。常に対応をし続けているといってよい。
多くは弱毒性で、健常人には病原性がないが、化学療法を受けている進行がん患者や、大手術を受けた患者など、免疫力が低下している患者ではときに致命的になる。
世界の専門家から様々な認識や対応が発表されている。人的、財政的制限があるので、あらゆる対応がとれるわけではない。院内感染は、医療側の対応と新たな問題の発生で、時々刻々、その様相を変えている。
院内感染の撲滅が当面不可能であること、人間の生命が有限であること、医療が不完全であることを前提に、冷静に実情を認識すべきである。不可能なことを規範化すると、士気の低下を招き、医療現場が荒廃する。
問題になった多剤耐性アシネトバクター・バウマニは乾燥に強く、栄養要求性が低いという。このため、近年、院内感染の主役だったMRSAと異なり、環境に広く分布し、死滅しにくい。手洗い中心だったこれまでの対応で制御しきれないこともあろう。
厚労省は、規範との整合性ではなく、社会にもたらす結果を基準に、すなわち、今後の耐性菌による被害を最小限にするのに有用かどうかを基準に、対応すべきである。
具体的には、現場の心理的障壁を小さくして情報を集めやすくすること、集まった情報をすべて開示すること、現場の対策を支援することである。
厚労省が、さまざまな背景を持つ現場に、罰則による威嚇を伴った一律の指令を出すことは、院内感染対策には有害無益である。対応するのは厚労省ではなく、多様な背景を持つ現場である。厚労省はその援助しかできない。
行政は法による統治機構であり、原理的に医療を上手に扱えない。物事がうまくいかないとき、自ら学習せずに、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとする。原理主義的で適応性に乏しい。これに対し、医学・医療では、物事がうまくいかないとき、自ら学習し、知識・技術を進歩させる。実情の認識を基本とするので、無理な規範を振り回すことがなく、適応性に富む。
CDC(アメリカ疾病予防管理センター)では、刻々と変化する医療の状況に科学で対応するために、行政官ではなく、医師が主導権をもっている。
逆に、日本の厚労省は、自らの責任回避のために、現場を細かく縛る無理な規範を設定して常に現場を違反状態におく。問題が浮上してくると、現場に責任を押し付ける。新型インフルエンザ騒動では、水際作戦に代表されるように、無理な規範を掲げて、実質的に強制力を伴う事務連絡を連発し、無残な失敗を重ねた。
報道機関から漏れ聞くところでは、厚労省が加罰的対応をしているのは、帝京大学での沖永家による支配体制が気に入らないからだという。ガバナンスに問題があるのなら、院内感染と切り離して、ガバナンスに問題があることを真正面からとりあげるべきではないか。別件逮捕のようなことをすると、院内感染対策が歪む。
古い体験を話す。35年前、東京大学泌尿器科学教室では細菌培養を中央検査室ではなく、教室の研究室で実施していた。そのデータは病院全体の感染管理に還元されていたわけではない。大学は各科の独立性が強く、病院全体のガバナンスはほとんどなかった。
病院のガバナンスは、比較的最近、輸入された考え方である。しかも、望ましい医療機関のガバナンス像は常に変化している。例えば、国際的な病院評価機関であるJCIはガバナンスも評価しているが、数年ごとに基準を変更している。医療機関のガバナンスの実態も常に変化している。しかも実際の医療機関は極めて多様である。望ましい定常状態を想定してそれを押し付けること自体無理がある。
全国の大学病院のガバナンスの実態はどうなのか。その中で、とくに帝京大学が劣っていたのか。多少なりとも問題のない病院はあり得ない。ガバナンスのありようを外部から強権で変えること自体、ガバナンスを傷つける。厚労省からの天下り役人が帝京大学を支配するようなことがあれば、かえって弊害が出かねない。
実際、厚労省の天下り役人が支配してきた骨髄移植財団では、天下り役人がセクハラ、パワハラを繰り返し、大量の退職者が出た。財団は、セクハラ、パワハラに抗議した部長を解雇したが、不当解雇だとして訴えられ、敗訴した。
良いガバナンスとは、制御の利いた合理的な自律である。内部に真摯な動きがないと、いくら外部から叩いても、改革は成功しない。具体名はあげないが、複数の大学の例が実証しているように思える。
そもそも、帝京大学のガバナンスが悪かったから耐性菌の問題が明らかになったのか、改善されたから明らかになったのか。漏れ聞くところでは、事件後4月に新院長に就任した森田茂穂氏の英断で、外部調査委員会が開かれ、すべてが開示された。望ましい自律の動きが始まった可能性がある。
菅直人総理大臣は国民を元気にする政治を唱えている。私は、菅総理の考え方に大賛成である。
フランスの政治哲学者であるトクビルは、政治的中央集権を評価するが、行政的中央集権を嫌う。『アメリカの民主政治』の中で、菅総理と似た考えを提示している。
トクビルの意見を要約すると、以下のようになる。
「国家が、国民生活の些細な部分まで支配すると、有能で活発な人間が、人々や社会に影響を与えられなくなる。国家は、人々を国家に頼らせ、自立できないようにしてしまう。国民は、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる。国民は、あらゆることを国家に頼るようになって、元気がなくなる。国家が衰えると、自力で生きられない元気のない国民は滅びる。」
行政権力は、日々更新されている医学的合理性と大量の情報を活用するための行動原理と能力を有していない。従来、行政権力が無理な規範で医療を統制することを、自民党が支えてきた。
日本医師会は行政権力の下請けになっていた。これに、日本の医師の多くが反発し、2009年の総選挙で、民主党に投票した。選挙前の何年かの医療をめぐる議論が、政治の大きな流れを変える一因になった。
医師たちは、政務三役に、行政権力の制御を期待した。長妻大臣の対応は、旧来の自民党と同じであり、日本人の元気を奪うものである。失望を禁じ得ない。
-----(引用、終わり)-----
安全対策には人的・物的資源が必要である。
厚労相は、多様な背景を持つ現場の、それぞれの現場の対策を、人的、物的、資金的に支援することである。
罰則による威嚇を伴った一律の指令を出すことは、院内感染対策には有害無益である。
そして、トンチンカンな報道、主張しかできないマスコミなど、存在自体が有害無益、少なくとも感染症対策には。
特に、産経のこの社説などその典型と言える。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100907/bdy1009070244001-n1.htm
誰か、あるいはどこかに悪い奴がいるはずだから、そいつを罰しろというだけの、感染症対策には無益どころか有害でさえある主張、この新聞社の無能さがよく現れている社説であります。無能であるが故に、事実を正確に把握できず、その結果として有益な主張ができないものだから、誰か他人、自分以外の他人を悪者にして罵ることで、さも何かを主張しているつもりになっている。
この新聞社、医療関係以外も同様なのかもしれない。いや、その可能性が高いと思う。
次に森兼先生のメッセージ。
-----(ここから引用)-----
多剤耐性アシネトバクター集団検出事例を受けて
森兼啓太
山形大学医学部附属病院 検査部
2010年9月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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問題点はすでに森澤・大磯・木村の諸氏(Vol 279,281,283)により詳細に記述されているが、国のデータや先行事例も含めて解説させて頂く。
1)多剤耐性アシネトバクターはどの医療機関でも検出されうる
厚労省事業であるJANIS(院内感染対策サーベイランス)では、全国の医療機関の臨床検査室から収集された細菌に関するデータを分析している。それによれば、2007年7月~2009年12月までの2年半で、アシネトバクターは全菌株の2.2%(3,218,820株中71,657株)を占めている。
すなわち、医療機関における臨床検査によって普通に検出される菌である。そのうち多剤耐性(カルバペネム、アミノグリコシド、フルオロキノロンの3系統の抗菌薬すべてに耐性を示すものと定義)は98株、0.14%であった。つまり、アシネトバクター700株中1株程度が多剤耐性を示すという結果であり、比較的まれとも言えるが、逆に言えば臨床のための検体検査を積極的に実施している医療機関では1株や2株はどこでも検出しうる。
2)多剤耐性アシネトバクターは感染力が弱い
健康人においては、大量のアシネトバクターを静脈内注射でもしない限り、感染症を発症することはない。多剤耐性アシネトバクター(以下、MDRABと略す)であってもそれは同じことである。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が健常人において皮膚感染症などを起こすのと対照的である。
また、重症集中治療中の患者や免疫低下状態にある患者であっても、最初に感染症を発症させる細菌ではなく、その他の細菌による感染症がたいてい先立つ。それらに対して有効な抗菌薬が投与され、それらの菌が追いやられた後にやってくるのがアシネトバクターだと考えればわかりやすい。
3)MDRABに対する治療薬が非常に限定されている
一口に「多剤耐性」と言っても、耐性の定義のもとになる3系統以外の抗菌薬に対する感受性は異なる。しかし、概してほとんどの抗菌薬が無効であり、わずかにコリスチンやティゲサイクリンが有効であるケースが少なくない。
しかし両者は日本で薬剤として承認・販売されておらず、使用するには個人輸入するしかない。とはいえ、一刻を争う抗菌薬治療において、個人輸入の手続きを取っている時間はなく、この選択肢はないに等しい。ドラッグラグの弊害がこのようなところにも現れている。
4)厳格な院内感染対策が必要
上記のように、重症集中治療中の患者や免疫低下状態にある患者において、生死の境目で必死にこらえている状態に対して最後の一押しになりかねない感染症がMDRABによる感染症である。従って、これらの患者に対してMDRABを付けない、運ばない対策が必要である。
検体検査においてMDRABが検出された患者がいた場合、厳格な接触予防策を講じて他の患者への伝播を可及的に防ぐことが必須である。感染予防策は当該患者の診療にかかわるすべての職種が実施しなければならず、当該患者からMDRABが分離されていることが情報共有されなければならない。
5)さらに厳格な対策が必要になる場合もある
MDRABは乾燥した環境中で数ヶ月にわたって生存することができる。昨年の福岡大学病院における集団伝播事例では、環境調査によって患者の療養環境の様々な部位(オーバーテーブル、ベッド柵など)からMDRABが分離されている。このような状況では、通常の院内清掃(高頻度接触局面を清拭する)程度ではMDRABを除去することができず、いつまでたっても伝播が終息しないことが懸念される。
6)感染制御部の主体的リードが不可欠
帝京大学の事例の詳細はこれから明らかになるであろう。筆者が収集しえた情報によれば、上記4)の部分において、MDRABが当該患者から検出されていることに関する情報共有が不十分だったと考えられる。大学病院においては一般に感染制御部がその任を負っており、検体分離菌情報を検査室から速やかに入手し、現場に赴き必要な感染対策を指示し、その後もその遵守状況を監視し、スタッフの疑問に答えるなどのフォローをする。これらの体制が不十分だったことは間違いない。
7)必要に応じて他施設や行政の支援を仰ぐ
どの医療機関も決して十分とは言えない人的物的資源で医療を行い、国民の健康を支えている。帝京大学の事例では、数カ所の病棟でMDRABが検出され、伝播が止まらず、感染制御部の情報収集や対策実施に限界が来ていたことは間違いない。その時点、具体的には4月に10例程度の症例が同定された時点で、他施設や行政の支援を仰ぐべきであったと考える。
昨年の福岡大学の事例でも、様々な対策を取ったにもかかわらず伝播が終息しないことを受け、地域の保健所や九州厚生局、筆者および筆者が当時所属した国立感染症研究所に相談があり、病院とこれらの機関が一体となって調査や対応を行い、アウトブレイクは終息した。
アメリカでもMDRAB の集団発生事例に対してはCDCの疫学チームが何度か調査に入っている。院内感染対策の専門家も医療機関のマンパワーも日本よりはるかに多く、CDCで訓練を受けた疫学の専門家が州の保健衛生部局に常駐する国ですら、CDCが調査に乗り出している。それくらいMDRABの集団発生は御しがたい。支援を仰ぐことは何ら恥ずべきことではない。
8)警察の捜査は有害無益
本事例に今最も必要なのは、集団発生の疫学調査と、これ以上の保菌伝播を防ぐための現場の院内感染対策の実施である。警察による捜査が何を意図しているかわからないが、捜査により医療従事者が余計な時間をとられ、医療に従事する時間を削減されるのは百害あって一利なしである。
ところが、報道によれば都内の他の病院でもMDRABが複数検出された事例が明らかになり、そこに警察が捜査に入っているとのこと。警察の捜査は、医療者が故意に患者に不利益をもたらす医療行為を行っている場合に限定されるべきである。
当局の謙抑的姿勢を求めるものであり、行き過ぎれば警察権力と医療の対立という構図になりかねない。アメリカでは南部のある州で産科医療においてあまりに訴訟が頻発したため、弁護士と医療が対立する構図となり、産科医が弁護士およびその配偶者の出産を一切取り扱わないという事態に発展したことがある。このような不毛な争いは誰の利益にもならない。
-----(引用、終わり)-----
帝京大学病院の院内感染対策は「情報共有」について不十分であった。
どの医療機関も決して十分とは言えない人的物的資源で医療を行い、国民の健康を支えている。それ故、必要に応じて他施設や行政の支援を仰ぐべきである。
帝京大学病院の院内感染事件においては、「具体的には4月に10例程度の症例が同定された時点で、他施設や行政の支援を仰ぐべきであった」。
以上が専門家の主張。
ここに警察が介入する余地はないし、余地がないどころか逆に警察の捜査は有害無益である。捜査により医療従事者が余計な時間をとられ、医療に従事する時間を削減されるのは百害あって一利なしである。
2010年09月10日
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