2009年07月12日

拙遅

脳死問題の3番目になりますか、脳死法案が出ているので、私もブログの話題にしたのですが、これでもう終わりにします。私的には終わっている問題ですし。

それと、今回はお手軽に行きます。
紹介だけ。

7月4日付けの朝日新聞、「生と死を考える、臓器移植法改正をめぐって、下」から、海堂尊さんの主張。
-----(ここから引用)-----
脳死を認めぬ社会は冷たい

 脳死になって臓器を提供できる年齢の制限をなくすのは妥当だ。衆院を通過したA案に賛成。生物学的に死に大人も子どもも区別はない。脳死を大人に認めるなら、子どもにも認めないと、社会的にも法律的にもおかしい。
 脳死を人の死とするのは科学に根ざした判断で、世界的にも標準だ。海外でも、脳死を死とすることに抵抗がある人はいると思う。脳死において臓器移植することによる社会的メリットとてんびんにかけ、「人の死」と実利的に選択しているのだろう。
 現行法でもA案でも、脳死を死と認められず臓器移植したくない家族は、法的脳死判定に同意しなければいいわけで、何が問題なのか。
 子どもの脳死を認めない人は、海外で子どもが心臓移植を受けることのモラルをどう考えるのか。子どもの脳死に反対するなら、海外渡航での心臓移植も強く非難すべきだし、それを禁じる法律を併せて作らないと、整合性がとれないのではないか。それもせずに反対する姿勢には甚だ疑問を感じる。
 そして、渡航移植も禁止するなら、臓器移植を望む人たちに「あきらめなさい」と言っているのと一緒。子どもの脳死を認めない社会は、実は冷たい社会なのではないか。

 心臓移植に代わるバチスタ手術をテーマにした06年の小説「チーム・バチスタの栄光」でこれらのことを指摘したが、議論は進まずにきた。拙速という人がいるが、逆だ。拙くて遅い「拙遅」だろう。
-----(引用、終わり)-----

拙速という人がいるが、逆だ。拙くて遅い「拙遅」だろう。

そうです、何を今更なんです。
10年以上棚晒しにほったらかしてきた者に、拙速などと批判する資格はない。
「拙速」などというのは反論にならない。

そして、脳死移植に反対というのなら、海外渡航して外国の子どもの脳死者から臓器移植を受けようとしている者達へも反対という非難をすべきです。それをせず口を噤み、国内でやろうとすると嘴を挟む。
この手の者達がよくやるダブルスタンダードの一つ。
国内でするなと言うのなら、海外渡航移植など倍の声を上げてするなと言うべきです。

彼ら脳死反対論者は実は冷たい人間なのでしょう。
それも、表だって冷たいとされないようにこそこそしているような、そういう人間なのでしょう。
posted by machiisha at 15:30| Comment(1) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
A案がすんなり成立してしまった。
そもそも衆議院通過も予想外でしたが、参議院では、せいぜいが修正可決くらいだろうと思っていたのに。

まぁ、成立しても、日本ではそう脳死移植は増えないでしょう。
Posted by 院長 at 2009年07月13日 17:19
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