いろいろマスコミで報道されている主張(素人から自称専門家までいろいろ)を読んでいて、最もおかしいと感じるものを書いておきます。何を今更なんですが、今になってもまだ混同して主張している人が多すぎるので。
それは、脳死とは何か、ひいては人の死とは何かという概念というか、哲学、考え方、アイデア、そういうもの(概念と言っておきます)と、その死(脳死だろうが心臓死、肺臓死、肝臓死などなど)の診断方法はどういうものか、そしてその確実性はどうかという問題の混同です。
その典型が、脳死の診断は確実でないから脳死そのものを否定するような例です。この手の誤謬を犯している者のいかに多いことか、それも専門家(その多くが自称に過ぎないにしろ)に多いのには驚かされる。
人の死とは?
こう面と向かって突然言われても答えに窮するのはないでしょうか。
呼びかけても反応しなくなり、体は冷たく、もちろん呼吸もしていない、脈も触れない、そういう状態を思い浮かべる人もいれば、魂が天に召されというような空想をする人もいるでしょう。
問題は、多くの人が、宗教が違っても納得できるような死の定義(定義とまで厳密化せずとも、おおまかな概念でもいい)、そういうものはいったいどういうものか、です。どういう状態になったら、なっていたら、その人(その人です、個人としての人)を死んだと言えるのか?
右上肢が切り離され残りの体は焼かれているとする。しかしその右手の血管には人工心肺から血液が供給されているとする。つまりその右上肢は生きている。
で、その右上肢の持ち主である人は、生きていると言えるでしょうか?
たぶん、誰も生きているなどと主張する人はいないと思います。
同じことが、いろいろな体の部分についても言える。
心臓が取り出されて生かされているが、残りは無くなっている(例えば焼却されている)とかの場合、その心臓の持ち主は、生きている?
肝臓の場合は、腎臓は、肺臓は?
たぶん、こういう重要臓器(その臓器が働いていないと、重大な機能傷害を起こすような臓器)だけが生きていても、その人は死んでいるとほとんどの人(100%などというはあり得ない)はみなすと思います。
右手がガラス容器の中で生かされて、電気刺激を与えるとものをつかもうとする。これは生きている人でしょうか?
心臓だけが、ガラス容器の中でトックントックン動いている。それは生きている人だと言えるでしょうか?
それらは、生きている右手であり、心臓であって、生きている人ではない。
逆に、今度はそれらが永久的に機能停止したり喪失している場合はどうでしょう?
右上肢を無くしている人は死んでいる?
そんなバカな、ですよね?
じゃ、肝臓は、腎臓は、さらには心臓の場合は?
たぶん、多くの人は、たとえそれらが永久的に機能停止しようが、それだけでその人が死んでいるとみなすことはないと思います。いずれは死ぬだろうが、それだけでは死とはみなさないはずです。
(先に言ったように、この場合は死の概念の話をしているので、永久的な機能停止というのを診断できるかどうかというのは別にして下さい。ここを混同するから間違いを犯すのです。)
今や、完全植え込み型の人工心臓さえあるのです。人工物に置換できるものの永久的な機能停止などで、人の死など定義すべきではない。
こう考えても、ある一つの臓器だけは、それが死んだら(永久的に機能停止したら)その人は死んだとみなしたり、あるいは反対にそれだけが生きていたら(機能していたら)、その人が生きている(あるいは生きているかもしれない)と多くの人が考えるであろう臓器があります。
また、それを人工物に置換してしまったら、それはその人ではなくなる、別のもの(人でさえなくもの)だという臓器があります。
それが脳です。
こういう臓器は、脳以外にない。
心臓でも、肝臓でも、腎臓でも、肺臓でも、それらが機能停止しようが、脳さえ生きていたら(機能が残っておれば)、その人は、まだ生きているとみなすような臓器は、脳以外にない。
脳死は人の死かという概念は、そういう類の死の概念、考え方の一つです。
首から上が、何らかの方法で生かされている(つまり機能している)、その機能を停止させること(例えば、その首に繋がっている人工心肺の電源を切ること)は、その人を殺すことだと考える。それが脳死は人の死だとみなすことと同じなんです。
次に、死の判定の問題です。
死の概念がこれこれだとして、その概念をできるだけ満たすような診断方法をどうするか、そしてその診断の確度はどの程度のものであれば良いかという問題。
(なお、100%とか絶対とかいうのは、その判定方法がいかなるものであれ不可能なことで、中にはこういう不可能なことを主張するおかしな者達がいて、議論をおかしくさせている。)
現在の脳死判定基準およびその診断方法は、私は信頼できるものだと考えていますが、中にはそうじゃないと主張する人達もいる。ただし、多くの専門家は信頼できるものだとしている。私はそれでいいと思います。100%の合意などというは不可能なことで、する必要もないことです。
ただし、この死の判定問題では、いわゆる死の三徴候というような死の診断方法は非常にいい加減なものであるという事実を知っておくべきです。
死の三徴候で死の診断などしていたら、当然のこと、多数のまだ死んでいない人を死んだと誤診することが起こることになる。死んだと診断しても、生き返るということが起こる、それも多数起こると。
脳死判定手段はまだ確立されていない、だから脳死法案には反対だという人がいるのなら、その人は、じゃどうすれば人の死を診断できるのか、その方法を提示すべきです。
白骨化するまで死の診断はするなとかいうような非現実的な主張ではなく、また死の三徴候を満たしたら死んだと診断するとかいう、高い確率で誤診を冒すような方法ではなく、現実的でかつ確度の高い診断方法を提示すべきです。